
古代ギリシアの歴史は, 紀元前3千年紀頃にエーゲ海周辺で栄えた青銅器文明にその起源を有する.とりわけミノア文明はクレタ島を中心に紀元前2700年頃から前1450年頃にかけて発展し, 高度な宮殿建築[クノッソス宮殿はその代表例]や海上交易を特徴とした文明であり, 宗教的象徴としての女神崇拝や線文字Aと呼ばれる未解読文字を有していた.一方, ギリシア本土では紀元前1600年頃から前1200年頃にかけてミケーネ文明が興隆し, 堅固な城塞都市と王権中心の社会構造を築いた.ミケーネ文明は線文字Bというギリシア語の初期形態を記録した文字体系を用いており, 1952年にマイケル・ヴェントリスによって解読され, 当時の行政制度や経済活動の一端が明らかとなっている.
しかし, 紀元前12世紀頃[概ね前1200年から前1150年の間], これらの文明は突如として崩壊する.いわゆる「青銅器時代の崩壊」であり, その原因については「海の民」と呼ばれる外来集団の侵入, 諸ポリス間の内部抗争, 気候変動や旱魃など諸説あり, 現在もなお学術的議論が続いている.この崩壊によりギリシア世界は一時的な停滞期, いわゆる「暗黒時代」[前1100年頃–前800年頃]へと移行する.この時期は人口の激減, 文字文化の断絶, 遠距離交易の衰退を特徴とするが, 一方でドーリア系ギリシア人の移動など民族的再編が進んだ時代でもある.
紀元前8世紀頃になると, ギリシア各地に都市国家, すなわちポリスが形成され始める.この時期はアルカイック期と呼ばれ, 政治・社会構造の基礎が確立された時代である.ポリスは独立した共同体であり, 市民による政治参加が特徴であったが, その形態は一様ではなく, 貴族政, 僭主政, あるいは初期の民主政など多様であった.なお「市民」の範疇は成人男性に限られており, 女性・奴隷・在留外国人[メトイコイ]は政治参加から排除されていた点は留意すべきである.
代表的なポリスとしては, 軍事的規律を重んじたスパルタと, 市民参加による政治体制を発展させたアテナイが挙げられる.アテナイでは前594年頃のソロンの改革による財産政治の導入, および前508年頃のクレイステネスの改革による部族制再編[10部族制]と民会の強化を通じて, 貴族支配から市民主体の政治体制への移行が進んだ.スパルタは前7世紀頃にリュクルゴスの法制[その史実性には議論があるが]のもとで独自の軍国主義的体制を完成させ, 周辺のメッセニア人をヘイロータイ[隷属農民]として支配した.
また人口増加や土地不足に対応するため, 前8世紀から前6世紀にかけて地中海および黒海沿岸への植民活動が活発化し, これによりギリシア文化は広範な地域へ拡散した.シチリア島のシュラクサイや南イタリア各地[いわゆる「大ギリシア」], 黒海沿岸のビザンティオン[後のコンスタンティノープル]などがこの時期に建設された主要植民市である. またこの時期, 叙事詩人ホメロスによるとされる『イリアス』・『オデュッセイア』が現在の形に編纂され, ギリシア文化の規範として広く共有された.
紀元前5世紀初頭, ギリシア世界は東方の大帝国であるアケメネス朝ペルシアとの対立に直面する.これがペルシア戦争である.第一次侵攻[前490年]ではアテナイ軍がマラトンの戦いにおいてペルシア軍を撃退し, 第二次侵攻[前480年–前479年]ではテルモピュライの戦いでスパルタ王レオニダスが玉砕的な抵抗を示した後, アテナイのテミストクレスの戦略によりサラミスの海戦でペルシア艦隊を壊滅させ, さらに前479年のプラタイアイの戦いでペルシア陸軍を最終的に撃破した. アテナイとスパルタを中心とするギリシア諸ポリスはかくして独立を維持することに成功した.
この戦争後, アテナイは前478年頃に海上同盟であるデロス同盟を主導し, 経済的・文化的に大きく発展する.いわゆる古典期においては, 前443年から前429年頃にペリクレスの指導のもとで民主政が成熟し, 演劇[アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスの悲劇, アリストファネスの喜劇], 哲学, 建築など多方面で高度な文化が開花した.パルテノン神殿の建設[前447年–前432年頃]はこの時代の象徴的事業である. ソクラテス[前469年頃–前399年], プラトン[前427年頃–前347年頃], アリストテレス[前384年–前322年]といった思想家が登場し, 西洋哲学の基礎が築かれた.また歴史叙述においてもヘロドトスとトゥキュディデスが活躍し, 後世の史学に多大な影響を与えた.
アテナイの覇権拡大は他のポリスとの対立を招き, 前431年にペロポネソス戦争が勃発する.この戦争はアテナイを中心とするデロス同盟と, スパルタを中心とするペロポネソス同盟との間で長期にわたり戦われ, 前404年に最終的にはスパルタが勝利した.戦争中, 前430年頃にアテナイを大疫病が襲いペリクレスも死亡するなど, アテナイは人的・物的に深刻なダメージを受けた.
だがスパルタの覇権も長続きせず, 前371年のレウクトラの戦いにおいてテーバイ[テーベ]の将軍エパメイノンダスがスパルタ軍を撃破し, テーバイが一時的覇権を握った.しかしテーバイの優位も前362年のマンティネイアの戦いでエパメイノンダスが戦死すると急速に衰退し, ギリシア世界は分裂状態に陥る.このような内紛の継続は, 外部勢力の介入を招く土壌となった.
紀元前4世紀後半, 北方の王国であるマケドニア王国が急速に勢力を拡大する.フィリッポス2世はファランクス戦術の改良など軍制改革と巧みな外交戦略によりギリシア諸ポリスを従え, 前338年のカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を撃破してギリシアの盟主となった.その後を継いだアレクサンドロス大王[在位前336年–前323年]は前334年から東方遠征を開始し, エジプトからインドのインダス川流域に至る広大な帝国を築いた.アレクサンドロスは遠征各地にアレクサンドリアの名を持つ都市を建設し[エジプトのアレクサンドリアが最も著名], ギリシア文化の移植を積極的に推進した.
アレクサンドロスは前323年にバビロンで急死し, その帝国はディアドコイ[後継者]たちによって分割される.主要な後継国家としてはプトレマイオス朝エジプト, セレウコス朝シリア, アンティゴノス朝マケドニアなどが成立した.この時代はヘレニズム時代と呼ばれ, 前323年から前30年[クレオパトラ7世の死とローマによるエジプト併合]まで続いた.この時代にはギリシア語[コイネー]が共通語として広まり, エウクレイデスの幾何学, アルキメデスの物理学・数学, エラトステネスの地理学など学問が各地で発展した.
紀元前2世紀になると, 西方から台頭したローマ共和国がギリシア世界に進出する.前197年のキュノスケファライの戦いでマケドニア王国が敗北し, さらに前146年のコリントス陥落をもって, ギリシアはローマの属州アカイアの中心として支配下に置かれた.
しかし,政治的独立を失った後も, ギリシア文化はローマ社会に多大な影響を与え続けた.ローマの詩人ホラティウスは「征服されたギリシアが, 荒々しい征服者[ローマ]を征服した」と詠んでおり, この言葉はギリシア文化の影響力を端的に表している. 哲学, 文学, 芸術, 科学におけるギリシアの遺産はローマを通じて後世に継承され, ビザンツ帝国[東ローマ帝国]を経てルネサンス期のヨーロッパへと伝播し, 西洋文明の基盤として今日に至るまで重要な位置を占めている.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.