スリランカ民主社会主義共和国

概要

スリランカ民主社会主義共和国は、南アジアのインド亜大陸南東沖に位置する島嶼国家である。旧称はセイロンであり、1972年に現国名へ改称された。国土は比較的コンパクトで面積は約65,610平方キロメートル(北海道の約8割に相当)だが、古代以来インド洋交易の要衝として栄え、多層的な民族・宗教・文化が交錯する歴史を有する国家である。立法府の所在地はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(1984年に正式に首都として指定)であり、商業・経済の中心地はコロンボである。

地理・自然環境

スリランカはインド洋に浮かぶ涙滴形の島であり、北西部はインドとポーク海峡を隔てて近接する。島の中央部には山地が広がり、最高峰はピドゥルタラーガラ山(標高約2,524メートル)である。これらの高地から放射状に河川が流下し、古代より灌漑農業を支えてきた。

気候は熱帯モンスーン気候に属し、南西季節風と北東季節風により降水分布が大きく異なる。このため湿潤な南西部と乾燥した北東部という対照的な自然環境が形成されている。豊かな生物多様性を有し、熱帯雨林から乾燥林まで多様な植生が見られる。高地のプランテーション地帯では紅茶・シナモンなどの栽培が盛んである。

社会・文化

スリランカ社会は主としてシンハラ人(人口の約75%)とタミル人(約15%)から構成される。シンハラ人は上座部仏教徒が多数を占め、タミル人はヒンドゥー教徒が多い。加えてイスラム教徒(ムーア人)やキリスト教徒も存在し、多宗教・多民族社会を形成している。識字率は92.5%と開発途上国としては極めて高く、無償教育制度は1945年に成立した。

言語はシンハラ語およびタミル語が公用語であり、英語も広く使用される。文化は仏教を中心とするシンハラ文化と南インド由来のタミル文化が並存し、植民地期のヨーロッパ文化の影響も受けている。

歴史

古代史と王権の成立

スリランカの歴史は紀元前5世紀頃に遡るとされ、北インドから渡来したとされる王子ヴィジャヤに始まる王統伝承が存在する。初期国家は島の北中部に形成され、やがて大規模な王国へと発展した。

紀元前3世紀、アショーカ王の仏教布教の一環として仏教が伝来し、以後スリランカは上座部仏教の重要な中心地となった。首都アヌラーダプラには巨大な仏塔(ダーガバ)や僧院が築かれ、宗教と王権が密接に結びついた国家体制が確立された。

古代王国の発展(アヌラーダプラ~ポロンナルワ)

アヌラーダプラ王国(紀元前3世紀頃~11世紀)は長期にわたり存続し、高度な灌漑システムを構築したことで知られる。巨大な貯水池(タンク)と運河網は乾燥地農業を可能にし、稲作を基盤とする社会を支えた。

その後、南インド勢力の侵入により王都はポロンナルワへ遷都され、ポロンナルワ王国(11~13世紀)が成立した。この時代にも灌漑技術と仏教文化は高度に発展したが、やがて内紛と外敵の圧力により衰退した。

中世の分裂と南インド勢力

13世紀以降、スリランカは複数の王国に分裂し、北部にはタミル系のジャフナ王国が成立した。南部・中部ではシンハラ王国が断続的に存続したが、政治的統一は失われた。

この時期、南インドのチョーラ朝などの影響が強まり、政治・文化・宗教においてインド亜大陸との結びつきが一層深まった。タミル人・シンハラ人両民族は古代から島内に混住してきたが、王国間の抗争を通じて民族的・宗教的な対立意識が形成されていった。

ヨーロッパ勢力の進出と植民地化

1505年にポルトガルが来航し、沿岸部を中心に支配を確立した。これに対し内陸のキャンディ王国は独立を維持し、抵抗を続けた。

1658年にはオランダがポルトガル勢力を駆逐し、沿岸部を支配した。さらに18世紀末から19世紀初頭にかけてイギリスが進出し、1815年にはキャンディ王国を併合して島全体を統治下に置いた。

イギリス統治下ではプランテーション経済が導入され、紅茶・ゴム・コーヒーの生産が拡大した。この過程で南インドから多くのタミル人労働者が移住し、今日のインド系タミル人人口の一部を形成した。イギリスは行政においてタミル人を下級役人として優遇し多数派シンハラ人を統治させるという分割統治政策を採用したが、これが独立後の民族対立の遠因となった。

独立と初期政治(1948年以降)

1948年2月4日、スリランカ(当時セイロン)はイギリスから英連邦内の自治領として独立を達成した。独立当初はUNP(統一国民党)のD.S.セーナーナーヤカが政権を担い、比較的安定した議会民主主義が機能した。

転機となったのは1956年の総選挙である。S.W.R.D.バンダーラナーヤカ率いるスリランカ自由党(SLFP)が勝利し、「シンハラ語のみ」を公用語とする法律(いわゆるシンハラ・オンリー法)を制定した。これによりタミル人は公務員から事実上排除され、大規模な民族暴動が発生した。バンダーラナーヤカは1959年に仏教僧によって暗殺されたが、その妻シリマヴォ・バンダーラナーヤカが後継として1960年に首相に就任し、世界初の女性首相となった。

1972年にはSLFPが政権を握り、共和制に移行して国名をスリランカ共和国に改称するとともに、仏教を準国教扱いとする新憲法を発布した。同年、ヴェルピライ・プラバカランにより武力によるタミル人分離独立を目指す「タミルの新しいトラ(TNT)」が結成され、1975年にはLTTEの前身組織へと改組された。1978年には現行のスリランカ民主社会主義共和国という国名が定められた。

民族対立と内戦(1983〜2009)

民族対立が深まる中、1983年7月、LTTEがジャフナ近郊で政府軍兵士13名を殺害したことを契機に、コロンボでシンハラ人によるタミル人への大規模虐殺暴動(「黒い七月」)が発生し、内戦が本格化した。この26年に及ぶ内戦で少なくとも8万人が犠牲になったとされる。

LTTEはプラバカランの指導のもと、スリランカ北部・東部を「タミル・イーラム」として実質的に支配し、医療・教育・行政を担う「自治政府」として機能した。一方で、子どもの徴兵、シンハラ人・ムスリム民間人の虐殺、首都コロンボなどでの自爆テロ、要人暗殺など(1991年にインドのラジーヴ・ガンジー元首相、1993年にスリランカのプレマダーサ大統領を暗殺)も行い、国際社会から批判を受けた。インドは1987年から1990年にかけて平和維持軍を派遣したが、LTTEとの武力衝突の末に撤退した。

2002年にはノルウェーの仲介で停戦協定が成立し、日本も明石康氏を代表として共同議長国として和平に関与したが、交渉は最終的に不調に終わった。2005年に就任したマヒンダ・ラージャパクサ大統領はLTTE殲滅路線を採り、国防次官の弟ゴタバヤ・ラージャパクサが軍事作戦を主導した。人権侵害を理由に欧米が援助を停止する中、中国・パキスタンから軍事支援を受けた政府軍は陸海空の総力戦を展開し、2009年5月、プラバカランを戦死させてLTTEを殲滅した。しかしこの最終作戦においても多数のタミル人民間人が「人間の盾」として用いられ、双方による甚大な民間人被害が国際社会で問題視された。

ラージャパクサ体制と中国傾斜(2009〜2015)

内戦を終結させたマヒンダ・ラージャパクサは英雄的地位を確立した。しかし、欧米やインドが内戦中の人権侵害を批判したのに対し、ラージャパクサは中国との関係を急速に深めた。中国は2005年以降のラージャパクサ政権下にスリランカへの融資・援助の94%超を集中させ、ノロッチョライ火力発電所、ハンバントタ港(2007年着工)、マッタラ国際空港、コロンボ港南ターミナル、首都高速道路などの巨大インフラを受注した。後に採算の取れない多くのプロジェクトが「債務の罠」と批判されることになる。

2015年の大統領選挙では、政権内部の対立を経てマイトリパーラ・シリセーナが野党統一候補として出馬し、ラージャパクサを破った。政権交代後はラニル・ウィクラマシンハ首相と組む連立体制となったが、大統領・首相間の路線対立が続き、2018年10月にはシリセーナがウィクラマシンハを突然解任するという憲法上の危機(最高裁がこれを違憲と裁定)も発生した。

2019年イースターテロとラージャパクサの復権

2019年4月21日、復活祭の朝にコロンボを中心とした教会3か所と高級ホテル3か所で連続爆破テロが発生し、259名が死亡、500名以上が負傷する惨事となった。ISの影響を受けた国内イスラム過激派組織による犯行とされ、日本人も犠牲になった。政権内部の対立により事前のインドからのテロ情報が適切に処理されなかったことが後に最高裁で認定された。事件後の大統領選挙では治安強化を掲げたゴタバヤ・ラージャパクサが圧勝し、兄マヒンダが首相に就任するラージャパクサ兄弟政権が復活した。

経済崩壊と政変(2022年)

ゴタバヤ政権は就任直後に大規模減税を断行したが、2019年のイースターテロによる観光業の打撃、新型コロナウイルスの蔓延、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格高騰が重なり外貨不足が深刻化した。さらに2021年には化学肥料の輸入を全面禁止して有機農業への突然の移行を強制し、米の生産量が前年比43%減少するなど農業が崩壊、食料輸出も激減した。2022年6月の消費者物価上昇率は前年比54%に達し、燃料・食料・医薬品の輸入が困難となった。

同年7月9日、「GoGotaGo」を掲げる市民が大統領官邸に侵入・占拠し、ゴタバヤはモルディブへ脱出したのち辞任した。マヒンダ首相も先に辞任していた。議会の投票によりラニル・ウィクラマシンハが大統領に選出され、IMFとの救済措置交渉を主導した。ウィクラマシンハはIMFプログラムを受け入れ、増税・補助金削減などの財政再建を進めたが、国民の支持は低迷した。

ディサナヤカ政権(2024年以降)

2024年9月の大統領選挙では、旧マルクス主義武装組織を母体とする人民解放戦線(JVP)の党首アヌラ・クマーラ・ディサナヤカが、腐敗の一掃と政治システムの刷新を訴えて当選した。ラージャパクサ一族と旧来政治エリートへの国民的不信を背景とした選択であった。同年11月には議会選挙でもJVPを軸とする「国民の力」連合が圧勝し、安定した政権基盤を得た。経済の正常化と民族和解の推進、IMFプログラムの継続が主要な課題となっている。

基礎データ

面積6万5,610平方キロメートル
人口2,103万人[2016]
首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
言語印欧語族インド・イラン語派インド語派シンハラ・モルジブ語群シンハラ語,ドラヴィダ語族タミル語
民族シンハラ人,タミル人,スリランカ・ムーア人
宗教仏教,ヒンドゥ教,イスラム教,キリスト教
政体共和制

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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