モルディブ共和国

概要

モルディブは、インド洋中央部に位置する島嶼国家であり、約1,192の島々と26の環礁(アトール)から構成される。平均標高は約1.1メートルと極めて低く、地球上で最も低平な国家の一つである。国土面積は全島合計で298平方キロメートルと、東京23区の約半分に相当する。首都マーレは政治・経済の中心であり、全人口の約3割が集中している。国土の地理的制約と海洋環境が国家の形成と発展を規定してきた点に特徴がある。

地理・自然環境

モルディブの島々は、海底火山の沈降に伴い形成されたサンゴ礁を基盤とする環礁構造から成る。この形成過程はダーウィンの環礁形成説の典型例として知られる。島嶼は砂質で平坦であり、河川や湖沼を欠くため淡水資源に乏しく、降水と地下水に依存する生活様式が発達した。

気候は熱帯モンスーン気候に属し、季節風によって雨季と乾季が分かれる。周囲のサンゴ礁は豊かな海洋生態系を形成し、多様な魚類・無脊椎動物が生息する。これらは伝統的漁業および現代の観光業の基盤である。

社会・文化

住民はディベヒ人を主体とし、言語はディベヒ語である。宗教はスンニ派イスラム教が国教として制度化されており、国民統合の基盤となっている。1995年にはイスラム教以外の宗教が法律上非合法化され、その信仰を拒否する国民への迫害が成文化された。文化は南アジア的要素とアラブ・イスラム文化の影響が融合したものであり、航海・漁撈を中心とする海洋文化が顕著である。

経済的には、伝統的にはマグロ漁などの漁業が中心であったが、20世紀後半以降は観光業が急速に発展し、高級リゾートを中心とする外貨獲得産業として国家経済を支えている。

歴史

古代史と初期居住

モルディブの最初期の居住は紀元前後に遡ると考えられ、主として南インドおよびスリランカからの移住民によって構成された。ドラヴィダ系およびインド・アーリア系文化が混交し、海洋交易に適応した社会が形成された。

この時期からココナツ製品や乾燥魚などの交易が行われ、モルディブはインド洋交易圏の中継点として徐々に重要性を帯びていった。

仏教時代(紀元前後~12世紀)

モルディブでは長期にわたり仏教が支配的宗教であった。特にアショーカ王の仏教布教以降、南アジアからの宗教的影響が強まり、各地にストゥーパや僧院が建立された。

この時代には王権が成立し、島嶼を統合する政治体制が整えられたと考えられる。仏教文化は文字・建築・儀礼の面で社会に深く浸透していたが、後の宗教転換により多くの記録が失われている。

イスラム化とスルタン制の成立(12世紀以降)

12世紀半ば、国家的規模でイスラム教への改宗が行われ、スルタン制が成立した。改宗の背景にはアラブ・ペルシア商人の活動があり、モルディブはイスラム世界の海上交易網に組み込まれた。

この時期、コウリガイは貨幣として広範に流通し、モルディブの重要輸出品となった。これにより、同国はアフリカや南アジアとの交易関係を強化し、海洋国家としての地位を確立した。

中世から近世の対外関係

中世のモルディブは独立を維持しつつも、周辺地域との密接な関係を持っていた。特にスリランカとの政治的・文化的結びつきは強かった。

16世紀にはポルトガルが侵入し、一時的支配を確立したが、1573年に現地勢力の反乱により排除された。この抵抗は後世において民族的記憶として重視される。

その後、オランダの影響下に入るが、直接統治は限定的であり、実質的にはスリランカ経由の間接支配にとどまった。

イギリス保護国時代(1887–1965)

1887年、モルディブはイギリス領セイロン(現スリランカ)を経由した保護国体制下に組み込まれ、外交・防衛をイギリスに委ねる一方で内政自治を維持した。スルタン制は継続しつつ、近代的行政制度や教育制度の導入が進められた。

1932年には最初の憲法が起草され、スルタン位が世襲制から選挙制へと移行した。第二次世界大戦中には南端のアッドゥ環礁がイギリス海軍の拠点として利用された。

20世紀中葉には政治改革が進展し、1953年には一時的に君主制が廃止されて初代大統領が就任する共和制が樹立されたが、間もなく崩壊し王政に復帰した。1959年から1963年にかけては、南部の複数の環礁によるスバディバ連合共和国の独立宣言という分離運動も発生し、国家統合をめぐる動揺が続いた。

独立と共和国化(1965年以降)

1965年7月26日、モルディブはイギリスから独立した。1968年の国民投票によりスルタン制を廃止して共和制へ移行し、イブラヒム・ナシルが初代大統領に就任した。ナシルは強権的な統治を行い、首相の解任・流刑や民衆蜂起の武力弾圧といった専制的手法を用いた。1978年にナシルが退任すると、マウムーン・アブドゥル・ガユームが第2代大統領に就任した。

ガユーム長期政権(1978〜2008)

1978年に就任したガユームは、以後30年・6期にわたって大統領の座にあり、アジアにおける最長政権の一つとなった。観光業を中心とする産業振興を推進して経済成長を実現し、当初は国民の広範な支持を得た。しかし大統領権限への権力集中と政党不在の体制は実質的に権威主義的支配を構造化していた。1988年には国内の実業家が雇用した外国人傭兵部隊によるクーデター未遂事件が発生し、インド軍の緊急介入によって鎮圧された。

2003年9月、勾留中の若者が刑務官による拷問の末に死亡した事件をきっかけに大規模な民衆暴動が発生し、政府機関などが放火された。この事件はガユーム政権下で最初の本格的な反政府暴動として国内外に衝撃を与えた。翌2004年にはモルディブ民主党(MDP)を中心とした民主化勢力が「ブラック・フライデー事件」と呼ばれる大規模な平和的抗議行動を組織したが、政府は非常事態宣言を発令して約200名を逮捕した。

2004年12月26日には、スマトラ島沖地震による津波がモルディブを直撃し、82名が死亡するなどの甚大な被害をもたらした。この自然災害は脆弱な島嶼国家の物理的リスクを国際社会に改めて印象づけるとともに、宗教保守派による原理主義的な布教活動の強化をも招いた。

国内外からの民主化圧力を受けてガユームは政党政治の容認へと方針を転換し、2005年に政党が合法化され、2008年には民主的な新憲法が制定された。

ナシード政権と民主化の試み(2008〜2012)

2008年10月の大統領選挙では、長年ガユーム政権の人権侵害を告発し通算6年余りを投獄された民主活動家のモハメド・ナシードが決選投票でガユームを破り、モルディブ史上初めて民主的に選出された大統領として就任した。「モルディブのネルソン・マンデラ」とも称されたナシードは、政治犯の即時釈放や再生可能エネルギーへの移行、世界初のカーボンニュートラル国家を目指す政策を推進した。また、海面上昇の深刻な脅威を国際社会に訴えるため、2009年には閣僚全員がスキューバダイビング装備を纏って海中で閣議を開くというパフォーマンスを行い、世界的な注目を集めた。国家存続の危機感から、観光収入の一部を活用してインド・スリランカ・オーストラリアなどへの土地購入と国民の移住先確保を検討するという構想も打ち出した。

しかし世俗化路線は宗教保守派との摩擦を生み、2012年2月、刑事裁判所判事を汚職容疑で逮捕する命令をめぐって大規模な反政府デモと警察の反乱が発生し、ナシードはテレビ演説で辞任を表明した。副大統領モハメド・ワヒード・ハサンが大統領職を引き継いだ。

ヤミーン権威主義政権と中国傾斜(2013〜2018)

2013年の大統領選挙でアブドゥラ・ヤミーンが当選し、約10年に及ぶ権威主義的統治が始まった。ヤミーンはガユームの異母弟にあたる。歴代政権が採ってきた親インド路線から離れて中国に急接近し、2015年には中国との自由貿易協定を締結、中国資本による国際空港の大規模整備や首都マーレと空港島を結ぶ全長約2キロの「モルディブ・中国友好橋」の建設(総工費2億ドル)など、「一帯一路」構想に連動する巨大インフラ投資が相次いで進められた。その一方で外国企業による土地の永久所有を認める法案を議会で強行成立させるなどの動きにインドは強い警戒感を示した。政府を批判するブロガーの殺害(2017年)や国営企業からの大規模横領など、大規模汚職・腐敗も明らかになった。

2015年にはナシード元大統領が反テロ法違反で13年の禁固刑を宣告され、翌年に病気療養を名目にイギリスへ出国したのち亡命を余儀なくされた。2018年2月には最高裁がナシードら野党政治家9名の有罪判決を破棄する命令を発したが、ヤミーンはこれを拒否し非常事態宣言を発令して最高裁長官を身柄拘束するという憲法秩序の破壊行為に踏み切った。モルディブは2016年に英連邦から脱退(2020年に再加盟)するなど国際的な孤立も深めた。

ソリ政権と親インド路線への回帰(2018〜2023)

2018年9月の大統領選挙では、ヤミーン政権の露骨な介入にもかかわらず野党統一候補のイブラヒム・モハメド・ソリが約58%を得票して勝利し、平和的な政権交代が実現した。亡命中のナシードは2018年に帰国し、2019年の議会選挙後に国会議長に就任して政界に復帰した。ソリ政権は中国依存路線を修正してインドとの関係を再構築し、インドから総額14億ドルの融資・通貨スワップを取り付けるとともに、インドがマレと近隣島を結ぶ約6.7キロの橋梁建設に着手するなど、インフラ面でも中国と競合するかたちとなった。しかし、前政権が積み上げた約31億ドルに及ぶ中国への債務は依然として重くのしかかり、単純な「脱中国」は現実的ではなかった。2021年にはナシードが首都で爆弾テロによる暗殺未遂に遭い、国内に潜む宗教的急進主義の存在が改めて浮き彫りになった。

ムイズ政権と再度の親中転換(2023年以降)

2023年9月の大統領選挙では、ヤミーン政権下で住宅相やマレ市長を歴任したモハメド・ムイズが決選投票でソリを約54%対46%で下し当選した。ムイズはインドに対するモルディブの主権への侵害を批判し、インドが海洋監視や捜索救難のために供与していた航空機に伴うインド軍要員の駐留解消を公約に掲げた。就任式典では「いかなる外国の部隊の駐留も許さない」と宣言し、翌日には出席していたインド政府代表に対して撤収を正式に要請した。2024年4月の議会選挙ではムイズ率いる人民国民会議(PNC)が圧勝し、親中路線の一層の強化が見込まれる状況となった。インド洋の地政学をめぐるインドと中国の間での戦略的綱引きは、現在もモルディブの内政・外交を規定する最重要の文脈であり続けている。

基礎データ

面積298平方キロメートル
人口51.2万人[2016]
首都マレ
言語印欧語族インド・イラン語派インド語派ディベヒ語[Divehi]
民族モルディブ人
宗教イスラム教
政体共和制

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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