ベイリク君侯諸国

ベイリク君侯諸国[Anatolian beyliks]は,特に13世紀末から14世紀初頭にかけてアナトリア地域で重要な役割を果たした地方政権であり,オスマン帝国の創設期における政治的,軍事的な背景を形作った.

これらの君侯諸国は,セルジューク朝トルコ[ルーム・セルジューク朝,1077年-1308年]の崩壊過程で生まれた.セルジューク朝の衰退と1243年のキョセダー戦いでのモンゴル帝国への敗北により,アナトリア各地に独立した小国家群が誕生した.その時期,ビザンチン帝国[330年-1453年]もアナトリア西部から撤退しつつあり,この権力の空白地帯にトルコ系遊牧民の指導者たちが自らの領地を確立していった.これらのベイリクの多くはモンゴル支配下のイルハン国の形式的な宗主権を認めながらも,実質的には自治を享受していた.

オスマン朝[1299年-1922年]自体も,当初はこれらベイリクの一つに過ぎなかったが,次第に他のベイリクを吸収合併し,最終的には強大な帝国へと発展した.ベイリクは単に政治的存在であっただけでなく,イスラム文化の保護者として,また東西交易の拠点として,アナトリアの社会経済的発展にも大きく貢献した.特に西部のベイリクはエーゲ海沿岸部で海洋貿易にも従事し,独自の外交政策を展開するなど,中世地中海世界の国際政治にも参画していた.

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.

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