松下家

遠江久野 1万6千石

当主官位・通称出自
初代松下重綱 Shigetsuna従五位下 石見守近江源氏西條氏庶流で、豊臣秀吉がかつて仕えた松下之綱(今川家臣)の長男。
関が原の戦いで東軍に与するも無断で城に石垣を築いたために移封。

常陸小張藩 1万6千石

当主官位・通称出自
初代松下重綱 Shigetsuna従五位下 石見守松下之綱の長男。

下野烏山藩 2万石

当主官位・通称出自
初代松下重綱 Shigetsuna従五位下 石見守松下之綱の長男。大坂の陣における軍功によって加増。

陸奥二本松藩 5万石

当主官位・通称出自
初代松下重綱 Shigetsuna従五位下 石見守松下之綱の長男。1627(寛永4)年に加藤嘉明が会津40万石に加増移封されると、嘉明の娘婿であった関係で与力大名となる。
2代松下長綱 Nagatsuna従五位下 石見守松下重綱の長男。母は加藤嘉明の娘。正室は山内忠義の娘。幼年での家督承継であったために三春へ移封。

陸奥三春藩 3万石

当主官位・通称出自
初代松下長綱 Nagatsuna従五位下 石見守松下重綱の長男。母は加藤嘉明の娘。正室は山内忠義の娘。幼年での家督承継であったために三春へ移封。
1643(寛永20)年、会津藩主加藤明成が家老堀主水と対立。高野山へ逃げた堀主水が引き渡され殺害された一件に関係して加藤家が改易。これに、与力大名としての松下家も連座する形で、1644年に改易され、親戚に当たる土佐藩主・山内忠義に預けられた。
次男の松下長光が家名を相続し寄合旗本として存続。


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:26:54 (5179d)