アリアドネの勝利

オーストリアの画家で,画家の王[Malerfürst]と称されたハンス・マカルト[Hans Makart,1840-05-28/1884-10-03]の1873-74年の作品.ベルヴェデーレ宮殿所蔵.

『バッカスとアリアドネ』[Bacchus und Ariadne,別名『アリアドネの勝利』Der Triumph der Ariadne]は,絢爛豪華な神話画である.本作は1873年から1874年にかけて制作された大作であり,油彩・キャンバスによる作品である.画面サイズは476 ×784cm[約37.3平方メートル]におよび,現在はオーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮殿上宮に所蔵されている.

本作品は,当初ウィーンに新設された「新宮廷歌劇場」[Neue Wiener Hofoper,現在のウィーン国立歌劇場]向けに構想され,緞帳[どんちょう]として用いることが想定されていた.しかし,油彩による表面の光沢が舞台照明の反射により視認性を妨げることが判明したため,実際の劇場使用は断念され,舞台美術の延長上にある純粋な絵画作品として完成された経緯を持つ.

作品は,ギリシア神話に基づくアリアドネとディオニューソス[ローマ神話におけるバッカス]の神婚を祝う凱旋行進の場面を描いている.主題は,テーセウスに捨てられたアリアドネがナクソス島でディオニューソスに見出され,彼と結ばれて神格化されるという物語に由来する.画面中央には月桂冠を戴いたバッカスが,すでに酒に酔った様子で輿に乗って描かれており,その傍らには王女アリアドネが高く掲げられた姿勢で立ち,勝利と歓喜を象徴するポーズをとっている.彼らの周囲には,マイナデス[ディオニューソスの女従者],サテュロス,プット[小愛神]らが陶酔と歓喜の表情をもって随行し,祝祭的な凱旋行進を形成している.

本作における行進の形式は,古代ローマの凱旋式[triumphus]の図像に依拠しており,神話的主題をローマ的祝祭の形式に転化したものである.ただし,構成全体は考古学的な正確性よりも装飾的・演劇的効果を重視しており,写実性に基づく歴史再現ではなく,視覚的祝祭としての美術的演出が徹底されている.

画面は横長であり,全体にわたって多数の人物群像,象徴的モチーフ,豪奢な装飾要素が配置され,祝祭と官能の雰囲気が支配している.マカルトの色彩設計は,赤,金,白を基調とし,豊穣かつ輝かしい色面によって構成されている.これにより,バロック美術の壮麗さと19世紀ロマン主義の感情性が融合した独自の様式が展開されている.特に裸体の描写においては,ルーベンス的な官能美を受け継いでおり,布地と肌の対比によって動的な視覚的緊張が創出されている.加えて,光と影の強いコントラスト,金属や宝飾の質感描写,絢爛な衣装の細部までが精緻に描かれており,マカルトの技術的完成度の高さが顕著に示されている.

本作は,マカルトの芸術理念――すなわち「絵画とは視覚の饗宴であるべき」という思想――を体現した代表作であると同時に,彼が同時代のウィーン宮廷文化に提示した壮麗主義[Prunkstil]の頂点でもある.マカルトは本作を通じて,古代の豊穣と快楽,そして神話的理想を視覚芸術として提示し,市民と宮廷の双方に文化的・感覚的インパクトを与えた.

さらに,本作は美術史上においても極めて重要な位置を占める.とりわけウィーン分離派の創始者であるグスタフ・クリムトに与えた影響は決定的であり,クリムトの黄金様式,装飾的構成,舞台的構図は,マカルトの遺産を継承・昇華させたものといえる.その意味で,『バッカスとアリアドネ』は単なる神話画ではなく,19世紀末オーストリア美術における表現転換の画期をなす記念碑的作品である.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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