帽子を被った自画像

スペインの画家ホアキン・ソローニャ[Joaquín Sorolla y Bastida,1863-02-27/1923-08-10]の作品.ソローニャ美術館所蔵.

ホアキン・ソローニャは,スペイン・バレンシア生まれの画家であり, 肖像・風景・歴史的社会主題を扱った大作において卓越した業績を残した.幼少期にコレラで両親を失い[1865年], 鍛冶職人の伯父夫妻に育てられた.地元バレンシアの美術学校[エスクエラ・デ・サン・カルロス]で早期教育を受けた後, マドリードのプラド美術館でベラスケスらの巨匠作品を模写し, 1884年には奨学金を得てローマに留学.その後, パリをはじめヨーロッパ各地を巡り, 技術と視覚言語を磨いた.生涯を通じてスペインの光と風景, とりわけ地中海沿岸の明るさを描き続けた点が高く評価される.

画風は印象派の影響を受けた「ルミニスモ[luminismo]」と称される光表現を特徴とし, 屋外での直描[プレーン・エア, plein air]を通じて強烈な日光と反射光を捉えることに優れた.筆触は自由でありながら, 色彩と空間感覚の制御に秀で, 白や淡色の衣服, 水面や砂浜に反射する光のきらめきを多様なタッチで再現した点が特筆される.こうした光の直接的描写は, 同時代のフランス印象派とは異なり, より明瞭な形態把握と強烈な光彩を示しており, 独自性を際立たせている.

主題面では, バレンシアやハベア[Jávea]など地中海沿岸の海辺, 労働者・漁師の群像, 家族や子どもたちの日常的情景などが繰り返し描かれた.代表作としては『悲しき遺産[Triste herencia]』[1899年, 病気の子どもたちを海辺で介護する修道士を描いた社会的主題作], 『海辺の散歩[Paseo a orillas del mar]』[1909年, 妻クロティルデと娘マリアを描いた作例], 『浜辺の子どもたち[Niños en la playa]』[1910年], 『漁からの帰還[La vuelta de la pesca]』[1894年, 漁船を助ける牛の群れを描く大作]などが挙げられる.海辺で白い衣服に包まれた人物の輪郭が光に溶け込むように処理される表現は, ソローニャ芸術の代名詞となった.

肖像画家としての評価も高く, スペイン王室や国内外のブルジョワ階層, 著名人の委嘱を受けて数多くの人物画を制作した.肖像においては被写体の心理的個性や社会的地位を巧みに示しつつ, 背景や光の処理でその人物を環境と一体化させる手法を用いた.肖像と風景の技法を相互に還流させることで, 単なる写実を越えた「生きた存在感」を画面にもたらした.

壮大な歴史的・地域的主題の仕事として, ニューヨークのヒスパニック協会[Hispanic Society of America]から委嘱された大壁画連作『スペインの幻視[Visión de España]』[通称「スペイン諸地方」]は, 1911年から1919年にかけて制作されたソローニャの終生の一大プロジェクトであった.スペイン各地方の風俗・産業・祭礼・労働風景をパノラマ的に描き出す14点の巨大パネルから成るこの連作は, 制作に多くの年月を費やし, スペイン文化の視覚的記録としても重要視されている.これらのパネルは現在もヒスパニック協会に常設展示され, ソローニャの国際的評価を決定づける契機となった.

晩年は1920年に自邸の庭園で制作中に脳卒中を発症し, 以後長期にわたって半身麻痺の状態となり制作が困難となった.1923年8月10日, マドリード近郊セルセディージャ[Cercedilla]の別荘で死去.没後, マドリードのパセオ・デル・ヘネラル・マルティネス・カンポス通りにあった自邸兼アトリエが妻クロティルデによって国家に寄贈され, 1932年にムセオ・ソローニャ[Museo Sorolla]として開館した.アトリエや所蔵作品, 彼の手による装飾的要素や家具, アンダルシア風庭園が保存公開されている.今日においてもソローニャの作品はプラド美術館, ソローニャ美術館, ヒスパニック協会をはじめ国際的な美術館・個人コレクションで高く評価され, 「光の画家」として近現代絵画史における固有の地位を維持している.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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