

盛期ルネサンス期[High Renaissance]のフィレンツェ派の代表的画家であるボッティチェリ[Sandro Botticelli,Alessandro di Mariano Filipepi:1445-03-01/1510-05-17]の1480-85年の作品.ウフィツィ美術館所蔵.
ボッティチェリのシモネッタの肖像は, ルネサンス期フィレンツェにおける美の理念を体現した作品であり, 画家サンドロ・ボッティチェリの芸術的成熟を示す重要な作例である.本作は15世紀後半, すなわち1470年代末から1480年前後に制作されたと考えられ, 当時「並ぶ者なき美女」として知られたシモネッタ・ヴェスプッチ[Simonetta Cattaneo Vespucci]を描いたものと伝えられている.
シモネッタは1453年頃, ジェノヴァ近郊のポルトヴェーネレに生まれ, 1469年にフィレンツェの名門ヴェスプッチ家のマルコ・ヴェスプッチと結婚した.彼女の美貌は瞬く間に社交界の寵児となり, メディチ家の公子ジュリアーノ・デ・メディチが1475年に彼女に捧げた騎馬試合[ジョストラ]は, 同年最大の祝祭行事として知られる.詩人アンジェロ・ポリツィアーノは彼女を称える詩を残し, 人文主義者たちは彼女をヴィーナスの化身, あるいは古代の美女ヘレネーに比するなど, 美と徳の象徴として讃えた.しかし, 彼女は1476年に肺結核で23歳の若さで死去し, その早逝はフィレンツェに深い印象を残した.以後, シモネッタは理想化された「永遠の美」の象徴として伝説化され, 芸術家たちの想像力を刺激し続ける存在となった.
ボッティチェリがシモネッタ本人を実際にどの程度知っていたかは定かではないが, メディチ家の庇護を受けた画家としてその存在を知らなかったとは考えにくい.彼の代表作プリマヴェーラやヴィーナスの誕生に描かれた女性像がシモネッタをモデルとするという伝承は, 長く美術史において語り継がれてきた.実際にモデルであったか否かは確証がないものの, ボッティチェリの理想化された女性像の形成において, シモネッタの伝説が決定的な役割を果たしたことは疑いない.
ベルリン国立美術館に所蔵される横顔の女性の肖像は, シモネッタを描いたものとして最も広く知られる.この小型の板絵テンペラ画は1480年前後の制作と考えられ, 若い女性が厳格な横顔で描かれている.長い金髪を複雑に編み込み, 真珠や宝石で飾った髪型, 白く繊細な肌, そしてわずかに憂愁を帯びたまなざしは, 静謐な気品を漂わせている.彼女の首筋から肩にかけての流麗な曲線は, 肉体の現実的存在感を超えた理想的な美の象徴として造形されている.
横顔の構図は古代ローマの肖像メダルに由来し, 15世紀イタリアの肖像画において貴族的威厳と徳性を表す形式として定着していた.ボッティチェリはこの伝統的構図を踏まえつつ, 輪郭線に有機的なリズムを与え, 自然主義と理想化の均衡をとることによって, 単なる個人の肖像を超えた「理念としての美」を造形している.彼の明確で流麗な線描は, 師フィリッポ・リッピから受け継いだ技法をさらに精緻化したものであり, 形態を装飾的に統一する力を持つ.線の美しさが作品全体を支配し, それがボッティチェリ芸術の本質をなしている.
衣装や装飾の描写もまた重要である.彼女の衣服は控えめでありながら洗練され, 髪に散りばめられた真珠は純潔を象徴する.ルネサンス期の肖像画では, 女性の服飾は社会的地位や徳性を表す記号であり, 美の理念と道徳的価値の融合点として理解されていた.ボッティチェリはこの符号体系を巧みに用い, 現実の女性を超えた象徴的存在としての肖像を描き出している.
色彩においても, ボッティチェリは節度を重んじている.淡い肌色と金髪, 控えめな衣服の色調が調和し, 全体として静かな荘厳さを醸し出している.光の表現は柔らかく, 形態をなめらかに包み, 人物像に瞑想的な静けさを与えている.この抑制的な色彩構成は, 輪郭線の造形美を際立たせ, 作品全体を精神的高揚の域へと導いている.
この肖像が実際にシモネッタ本人を描いたものかどうかについては, 確証がない.彼女が1476年に没しているため, 1480年前後に描かれたとする本作は, 記憶に基づく理想化, あるいは追悼としての性格を帯びていると考えられる.すなわち, これは写実的肖像ではなく, 美の理念そのものを絵画として永続化させようとする試みである.ルネサンスの肖像画においては, 個人の外見を超え, 道徳的・哲学的理念を可視化することがしばしば目的とされた.
一部の美術史家は, この作品が他の貴族女性, あるいは理想化された架空の女性像を描いたものとみなす.しかし, 伝統的な解釈では, シモネッタの面影を理想化した肖像として理解されており, その背景にはボッティチェリの精神的な追憶が想定されている.プリマヴェーラやヴィーナスの誕生の女性像との類似は明白であり, いずれも同一の理想的美を共有している.
ボッティチェリにとってシモネッタは単なるモデルではなく, プラトン主義的理念としての「美の可視化」を体現する存在であったと言える.マルシリオ・フィチーノを中心とするフィレンツェのプラトン・アカデミーでは, 地上の美は神的美の反映であり, 美しい形態を通じて人間の魂は天上へ上昇するという思想が広まっていた.シモネッタの儚い美は, この哲学的文脈の中で「可滅なるものに宿る永遠」の象徴として受け止められた.
伝承によれば, ボッティチェリは死後シモネッタの墓の近く, オンニサンティ教会に埋葬されることを望んだとされる.これは史実として確証されてはいないが, 少なくとも後世の人々が二人の間に精神的な結びつきを信じていたことを物語る.彼にとって, シモネッタは芸術そのものの理想の具現であり, 美の宗教的・形而上学的次元を示す存在であった.
この肖像は, ルネサンス芸術における「写実と理念」「現実と理想」の緊張関係を最も純粋な形で示している.そこに描かれた女性は生身の人物であると同時に, 永遠に失われた理想美の幻影でもある.静謐な横顔, 明瞭な線, 抑制された色彩, そして漂う憂愁は, 現実を超えた美の領域を指し示している.それは生の肖像でありながら, 死を通じて美が永遠化された瞬間を捉えている.
すなわち, シモネッタの肖像は単なる肖像画ではなく, 15世紀フィレンツェにおける人文主義的精神と美の哲学を凝縮した象徴的作品である.ボッティチェリは一人の若い女性の姿を通して, 美の本質, 愛の理念, そして芸術が志向する永遠への希求を描き出した.そのためこの作品は, 時代を超えてなお, 観る者の感性と知性に深く訴えかけ続けている.
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"
