麗子微笑

岸田劉生[1891〔明治24〕.06.23 - 1929〔昭和4〕.12.20]による1921年の作品.

『麗子微笑』は, 岸田劉生が娘である麗子を描いた連作の中でも「写実の極点」と評される代表作の一つである.油彩・麻布, 44.2×36.4cmのカンヴァスに描かれたこの作品は, 東京国立博物館が所蔵し, 1971年[昭和46年]に重要文化財に指定されている.本作は単なる愛娘の記録にとどまらず, 日本近代洋画における写実主義の深化と, 個人的内面の凝視が結晶した到達点として位置づけられる.なお「麗子像」は連作全体を指す総称であり, 本作の正式な題名は『麗子微笑』である.

画面には, 正面を向いた7歳[一説に8歳]の麗子の半身像が描かれている.背景はほとんど装飾性を排した暗褐色の平滑な空間として処理されており, 観者の視線は必然的に人物の顔貌へと集中する構成となっている.特に注目すべきは, その顔面表現における異様なまでの緊張感である.異様に大きなおかっぱ頭に対して顔は横長にデフォルメされ, 目は細長い切れ目状に, 眉は薄く, 瞳には白点が, 唇には赤線が引かれている.一方で毛糸の肩掛けは編み目の一つひとつに至るまで精緻に描き込まれ, 右手に持つ青みかんも写実的に表現されている.この写実とデフォルメの奇妙な共存こそが, 本作に独特の神秘性を与えている.

岸田は初期において, 白樺派周辺の文化人と交流しつつ, 後期印象派, とりわけポール・セザンヌなどの構造的把握に学んでいたが, やがてデューラーやヤン・ファン・エイクら北方ルネサンスの細密写実へと傾斜し, 草土社を結成して大正洋画界に独自の位置を占めるようになった.本作の制作時期には中国の古画への関心も深まっており, それが顔貌のデフォルメや装飾的細部の処理に反映している.劉生自身, 本作はレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に着想を得, またフランシスコ・デ・ゴヤの作品もモチーフの一部に取り込んでいることを述懐しており, 東洋と西洋の美の融合として自らの「内なる美」を結実させようとした意図が見て取れる.

しかしながら, この写実=デフォルメの緊張は, 単なる技法的実験ではない.むしろ, 父としての愛情と不安, さらには人間存在への根源的な問いが交錯する内面的視線が, 麗子の表情に独特の硬直と神秘性を与えている.幼児でありながら, どこか老成した, あるいは仮面的ともいえる表情は, 観る者に強い違和感と同時に深い印象を残す.この点において, 本作は単なる肖像画を超え, 近代における「個」の問題, すなわち主体と他者の関係性を視覚的に提示する試みとして理解されるべきである.

また, 技法的にも, 細部に至るまでの精緻な描写と, 全体の構成的安定との緊張関係が注目される.衣服・肩掛けの緻密な描写に対し, 顔面はデフォルメと執拗な筆触が集中し, そのコントラストが人物の存在感を際立たせている.こうした部分と全体の不均衡は意図的なものであり, 視覚的リアリティを超えた心理的リアリティの創出に寄与している.

以上のように, 『麗子微笑』[1921]は, 岸田劉生の芸術における写実主義の到達点であると同時に, 近代日本美術における肖像表現の一つの極限を示す作品である.それは対象を忠実に写すことを超え, 東洋と西洋の美を融合させながら「見る」という行為の本質と, その背後に潜む存在論的緊張を可視化した点において, きわめて特異かつ重要な意義を有する.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

INDEX





















- - - -