交脚弥勒菩薩像

敦煌莫高窟[Mogao Caves]の275窟の交脚弥勒菩薩像は, 五胡十六国時代[Period of the Sixteen Kingdoms]の北涼期[Běiliáng,Northern Liang;397-05 – 439-09], すなわち5世紀前半に制作された敦煌最古層の仏教彫刻として, 東西文化交流史上きわめて重要な位置を占める作品である.高さ3.4メートルに及ぶこの堂々たる菩薩像は, 西壁龕内に本尊として安置され, 椅座に腰を下ろして両足首を交差させる交脚の姿勢をとる.この座法は古代インドにおいて王者や貴人に許された威厳ある姿態であり, 兜率天に在って説法する弥勒菩薩の尊格を示すものとして, 初期仏教美術において広く採用された図像形式である.

当該像の造形は, ガンダーラ[Gandhara]および西域美術の様式的特質を色濃く反映している.厚い胸板と広い肩幅によって構成される力強い体躯は, 後世の中国的な優美さや繊細さとは一線を画し, むしろ西方世界に源流をもつ男性的な力動性を前面に押し出している.上半身はほぼ裸形に近く, 薄い天衣を斜めに纏い, 胸飾や腕釧などの装身具を配するが, 衣文表現は簡素で明快であり, 過度な装飾性を排した造形意識が看取される.台座両脇には獅子が配され, これもまたインド由来の獅子座の伝統を忠実に継承したものといえよう.

弥勒信仰は, 戦乱と分裂が続いた五胡十六国時代において, 未来に到来する救済者への切実な希求として民衆の間に広まった.この菩薩像はまさにその時代精神を体現し, 混迷の世にあって人々に希望を与える存在として造像されたのである.第275窟全体の空間構成もまた注目に値する.天井は中国伝統建築の屋根形式を模した人字披となっており, 西来の仏教美術が中国在来の建築技法と融合し始めた初期段階を示している.側壁に展開する本生図や仏伝図は, 素朴ながらも力強い筆致と重厚な色彩によって描かれ, 北涼期絵画の特色を如実に伝えている.

この交脚弥勒菩薩像は, シルクロードを経由して伝播した仏教美術が中国の土壌に根を下ろし, やがて独自の展開を遂げてゆく過渡期の様相を端的に示す記念碑的作例である.西域の造形言語と中国的空間意識とが交錯するこの石窟において, 弥勒菩薩は単なる宗教的偶像を超えて, 文化接触の歴史そのものを雄弁に物語る存在となっている.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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