サヴォアの初期キリスト教美術


フランス美術シリーズ(1970)

サヴォワはサヴォワ家(Savoie)が支配したイタリアのピエモンテ(Piemonte)とフランスに挟まれた地。
ローマ帝国が崩壊してから534年のフランク王国による征服まではブルグント族によってブルグント王国が成立していた。
フランク王国分裂後はブルゴーニュ王国の支配下の時代を経て、1032年にサヴォイア家(Savoie)のウンベルト・ビアンカマーノ伯(辺境伯[Markgraf, Margrave])の下で神聖ローマ帝国の支配下に入る。
フランス王国と神聖ローマ帝国の間にあって地政学的要衝であったことからサヴォワ地方はしばしば戦場となることを余儀なくされた。
フランス王家とハプスブルグ家との戦いであるイタリア戦争では領土の大半を失い、ようやく1559年のカトー・カンブレジ協定で首都をトリノに移して再建。しかし、フランスにルイ14世が立つと事実上フランス王国の支配下となる。その支配下を抜け出したのはヴィットリオ・アメデオ2世(1743-1780)だが、その時代にはスペイン継承戦争によってサヴォワ家はサルジニア王として歩む道を選択し、ここに後のイタリア王国の萌芽が見られることになる。