甲本

〔読み〕こうもと。

岡山県津山市領家、里公文、桑上、桑下、大田に多い。なお、里公文は歴史的にも古い地域である。現在の津山市里公文にあたる地域は、もとは公文村であり、戦国期の史料にも「公文」の地名が確認される。江戸時代には里公文村が上・中・下の三村に分かれた。したがって、甲本姓の集中地は中世以来の村落社会が形成されてきた地域である。

甲本・甲元・香本・幸本・幸元・孝本・河元は河本の異形とされる。

『美作古城史』に所収されている「甲元家譜」によれば、天正7年(1579年)3月、宇喜多直家の軍勢によって現在の岡山県津山市(旧久米郡久米町)にあった亀山城(別名:河本城・構之城)が攻め落とされ、城主であった河本肥後守(こうもとひごのかみ)が神代村(現在の津山市神代)で敗死したという経緯が記されている。この河本肥後守の一門が、のちに神代村(現在の津山市神代)に土着し、「甲本(甲元)」と名乗って神職や庄屋を務めた。

明治期の「久米北条郡桑下村甲本家資料」に「甲本与三郎宛久米北条郡役所通達」があり、宛名は「倭文東村大字桑下 甲本与四郎」となっている。

また、広島県安芸高田市吉田町甲元は、かつての長屋村に含まれ、可愛川の流路変更によって川の西側に残った飛郷であったことが知られている。また、安芸高田市吉田町川本には宮ノ城という城跡があり、城主は堀江甲本であったと伝えられている。伝承によれば、大内義隆の家臣であった堀江筑前の子である堀江甲本が川本村を領して築城したとされ、その後、毛利元就が川本を関野氏に与えたという。

初版:2026年09月03日(木)。

デザイン名字.





















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