ポンペイ4様式

ポンペイ( Pompeii )の壁画などの様式の変遷のこと。
第1様式は漆喰装飾様式とも言われ、ローマの拡大に伴ってヘレニズム・ローマ文化の摂取を始める紀元前前3世紀末から紀元前80年頃までの様式であり、色大理石の壁面を漆喰によって装飾するという特徴を持つ。『ファウヌスの家 Casa del Fauno』が典型。
なお、ポンペイ第1様式と第2様式の区切りとされる紀元前80年にポンペイはローマの植民市となり自治権を獲得している。
第2様式は建築装飾を主とするため建築装飾様式とも呼ばれ、紀元前80年頃からアウグストゥス帝の統治時代にかけて見られた。秘儀荘( Villa dei Misteri )の「ポンペイの赤(rosso pompeiano )」と呼ばれる深い赤で描かれたフレスコ画『ディオニュソスの秘儀』や『オデュッセウスの風景画』が典型。このような独特の色彩の登場にはポンペイの自治権獲得が影響しているのかもしれない。
第3様式は、アウグストゥス時代後半から西暦62年にかけてで、エジプト美術の影響を受けた華麗な植物文を特徴とすることから華麗様式とも称される。
第4様式は第3様式の華麗な植物文が更に発展し複雑化したものと言えるため複雑様式と呼ばれ62からポンペイが79年)ベスビオ山大爆発により封印されるまでの様式である。