山口県

高杉晋作旧宅鎮守堂

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旧宅の庭にあるお堂。

この鎮守堂は高杉家が藩主毛利輝元公とともに萩に入府されたときに、父祖の地安芸国から移されたと伝えられる。

晋作は、この地にて天保10(1839)年200石の藩士高杉小忠太の嫡子として生を受けた。

後に、明倫館に学び吉田松陰の松下村塾に学び(久坂玄瑞とともに松門の双璧と呼ばれる)、志を立てて、文久二(1862)年に上海の地を踏んだ後、奇兵隊を組織し倒幕の先鋒となる。

しかし、惜しくもその身は維新実現の前に病に消えた。



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:28:36 (5179d)