鞆城址毛利元就が天文年間(1532-1555)に築城したとされる城。 尼子氏に対する大内方の拠点として毛利氏が築いたもの。 というより、天正4(1576)年に織田信長によって京都を追放された室町幕府最後の将軍・足利義昭が滞在した城と言ったほうが知られている。 一国一城令によって1615(元和元)年に廃城となるまでは対潮楼、沼名前神社、鞆港の辺りまでが城郭であったという。 そのことを念頭に入れてくねくねと曲がりくねった路地を見ると面白い。 1600(慶長5)年に関ヶ原合戦に毛利輝元が敗れると、安芸広島城に入った福島正則が、鞆城に大崎玄蕃を城代として置いた。 この時に、本丸・二之丸・三之丸からなる悌郭式の城が築城された。 今は本丸の跡に歴史資料館が立っている。
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