福井県

越前大野城

http://www.digistats.net/image/2010/09/oono_01.jpg

越前一向一揆鎮圧の功績によって、1575(天正3)年に織田信長から越前大野郡3万石を与えられた金森長近によって越前大野の亀山に築城された古城。

織田信長が斃れた後は柴田勝家に与したが、柴田勝家が豊臣秀吉に敗れ自刃すると、豊臣秀吉に降伏した。

もともと、美濃源氏土岐氏の支流であり、土岐頼武と土岐頼芸との後継者争いで敗れて美濃から近江へと逃れ、後に、尾張の織田信秀に仕官したという。

その経歴が影響したのか、美濃の隣国である飛騨において姉小路頼綱の討伐を命じられ、見事に役目を果たし、1585(天正13)年に飛騨を与えられた。

金森氏の後の越前大野城には、青木秀以、長谷川秀一、織田秀雄が城主となり、1600(慶長5)年の関ヶ原以降は福井城主・結城秀康の家臣である土屋、小栗氏が城主として入った。

1624(寛永元)年以降は、結城秀康の三男・直政、四男・直基、五男・直良が城主となり、松平直良が明石へと転封となった後は大老・土井利勝の三男・利房が越前大野藩主として城主となり、以降は明治維新まで土井氏が城主を務めた。

http://www.digistats.net/image/2010/09/oono_02.jpg

この越前大野城は、外堀と内堀を持ち天守閣を構えた城であり、中世の山城とは異なる。天守閣は望楼付きの二層三階の大天主と、二層二階の小天主からなっていたことが江戸時代の絵図によって知られている。

当時の天守閣は1775(安永4)年に焼失し、1795(寛政7)年に再建されたものの、明治維新の後に取り壊された。現在の建物は再建である。しかし、石垣は築城当時のものであり、野面積みという工法を見ることが出来る。

http://www.digistats.net/image/2010/09/oono_03.jpg


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2010-09-14 (火) 22:03:41 (3141d)