真田幸村遺児の墓豊臣家への義を貫いた真田幸村は1615(元和元)年の大阪夏の陣で壮絶な討死を遂げた。しかし、幸村には子供の阿梅、阿菖蒲、おかね、大八を敵軍の片倉重長に託した。片倉重長も武士である。徳川家に内密に白石城二の丸で真田幸村の遺児達を育てた。おかねは残念ながら早世してしまったが、後に、阿梅は片倉重長自身の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、大八は片倉四郎兵衛守信として伊達家臣となった。阿梅と大八の墓は当山寺に、阿菖蒲の墓は蔵本勝坂の田村家墓地にある。それにしても、阿梅と大八の墓の横に武田家の武将と伝わる白石老人の墓もあるのは、真田家が武田家の武将であったことと考え合わせると興味深い。
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