群馬県>世良田

津軽藩代官足立氏の墓

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群馬県の新田氏ゆかりの地である尾島は江戸時代には津軽藩の統治する地域だった。

これは、初代津軽藩主・津軽為信の次男信堅が徳川家康に仕え上州大館600石、安養寺297石、出塚31石の所領を得たことを起源とする。

その後、津軽為信が関が原の戦功によって、改めて上州大館を安堵されたことに始まる。

大館にあった大館御前(辰子)と津軽2代目藩主・信枚との間に産まれた信義は第3代藩主となっている。このことからしても、尾島は歴とした津軽の一部だったと言える。

ちなみに、この大館御前は関が原の戦いで敗れた石田三成の三女。

この上州尾島の地には津軽藩の陣屋も置かれた。

後に、津軽藩主・信政が信義を承継すると、その後見役を務めた信英(信義の弟)が黒石藩を立藩。上州尾島は津軽藩領から黒石藩領となった。

1662(寛文2)年には黒石津軽家2代目の津軽信敏が弟の信純に黒石領と上州大館領を分知。ところが、その後、信純の養子の信祐が病死したため、分知分が幕府領となってしまう。

1698(元禄11)年に津軽黒石家は黒石の幕府領を取り戻すため、上州大館領を返上した。

津軽藩の大館代官であった足立氏の墓は大館東楊寺境内にある。

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Last-modified: 2010-05-05 (水) 08:31:55 (5108d)