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宮城県

美味し国、伊達な旅

宮城県気質

 誠実。根気強い。おしゃれ好き。新しいもの好き。

名取郡

  • 岩沼市:小野篁が陸奥守として着任した際に、奥州鎮護を祈願して創建した竹駒神社は5代藩主伊達吉村寄進の本殿・拝殿・幣殿に加え、向唐門、江戸の秀作である二層の随神門など盛りだくさん。
    岩沼は、この竹駒神社の門前町として歴史を刻んできた。
  • 名取市:三十六歌仙の一人であり光源氏のモデルともいわれた藤原実方朝臣の墓がある。
    実方は御堂関白道長とは又従兄弟という名門の出。円融、花山両院の寵愛を受けたが、一条天皇の側近藤原行成と争い事を起こし、天皇から「歌枕見てまゐれ」と陸奥守を命じられ下向。この地にて没した。

志田郡

  • 大崎市:1790(寛政2)年創業の橋平酒造店が生まれ変わった「醸室」、嵯峨天皇の寵妃の伝説を持つ緒絶川そばの藤棚など風情が漂う。
    2006年3月に古川市、松山町、鹿島台町、玉造郡岩出山町、鳴子町、遠田郡田尻町が合併して誕生。

黒川郡

  • 大和町:伊達政宗の孫の宗房が大和町宮床に入って以来、宮床伊達家の小城下町として栄えた。宮床伊達家の伝世品を保存・展示した「宮床宝蔵」がある。また、宮床伊達家からは中興の英主伊達藩5代藩主伊達吉村(1680-1751)が出ている。
  • 大郷町:伊達家が大崎家、葛西家に対する北の守りとして、伊達一族の大松沢元実が居城とした大窪城。今は桜の名所となっている。
  • 富谷町:富谷という名は町内の熊谷という地に10の神社があったことから「十宮(とみや)」と呼び習わしていたことによるという。
    江戸時代には、奥州街道の七北田・吉岡宿駅の中間に置かれた宿場として栄えた。しかし、今でも十宮のうち一社日吉神社が残る。
  • 大衡村:昭和万葉の森がある他、万葉植物を主体とした森林公園が疲れた心を癒してくれる。

加美郡

  • 色麻町:出羽と陸奥の按察使であった大野東人が色麻柵を置いた場所。征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際に甲冑などに納めていた千手観世音菩薩、毘沙門天を本尊として、京都音羽山清水寺の良弁僧都を開山とした清水寺がある。
  • 加美町:平安時代の陸奥の国府多賀城より出羽国府あるいは秋田城に行く要衝であったため、城生柵跡や東山官衙遺跡が残る。
    按察使兼鎮守府将軍、大野東人が堂宇を建立した飯豊神社は源頼朝ゆかりの杉がある。
    仙台藩の奥山家の家老の家で、国の重要文化財にも指定されている松本家住宅も必見。

遠田郡

  • 涌谷町:大伴家持が万葉集にも詠んだ黄金山産金遺跡は東大寺大仏の塗金を産出した金山。元禄期に建立された妙見宮拝殿も必見。涌谷伊達氏の上級家臣の千石家の薬医門、江戸時代中期の西光寺の薬医門も良し。
    涌谷伊達氏の廟所は見龍廟。その涌谷伊達氏の居城があった涌谷城跡は現在は資料館となっている。涌谷の地に妙見宮があることから分るように、涌谷伊達家のルーツは千葉常胤の三男・胤盛(三郎)が下総国千葉郡武石郷を領したことで名乗った武石氏。武石は奥州に領地を拝領し土着した。
    また、伊達騒動の忠臣伊達安芸宗重は涌谷伊達氏4代目。
  • 美里町:美里の象徴は山神社(やまのかみしゃ)。
    鶴頭城は金成町有壁の豪族有壁摂津守が居城として築き、伊達家の支配下では後藤近元が江刺郡三照村から移封。明治維新まで後藤家が保った。
    松景院(神寺不動尊)の本尊不動明王は、高さ7メートルもあり、塑像としては世界でも最大の規模。


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:25:26 (5179d)