ルーツ
名和家
家紋
系譜
事績
- 名和長年
- 1333(元弘3)年、弟の名和又七郎が楠木一党と、隠岐から後醍醐天皇を脱出。船上山にて篭城。
- 鎌倉幕府滅亡後、従四位下左衛門尉伯耆守、因幡守に任ぜられる。結城親光、楠木正成、千種忠顕と並んで、ユウ「キ」・クスノ「キ」・ホウ「キ」で「三木一草」と称される。
- 京都にて足利尊氏と戦い、嫡男義高とともに戦死。
- 名和顕興
- 八代荘地頭名和義高の子。
- 名和義高は八代に内河彦三郎を下向。
- 1358(正平13)年:内河彦三郎は名和顕興を旗印とし菊池武光の支援のもと、八代、芦北、益城を支配下に収める。
- 大保原の戦い(1359):征西将軍宮懐良親王軍として少弐氏・大友氏に勝利。
- 征西府樹立:大宰府に代わって南朝が設置。
- 1381(永和7)年:九州探題今川了俊が菊池城を陥落させる。
- 1391(明徳2)年:九州探題今川了俊が八代城を陥落させる。名和顕興が幕府軍に下る。
- 名和顕忠
- 1462(寛正3)年:年少にて家督承継したため一族に内紛。内川式部少輔が相良長続に支援を求める。
- 相良長続に報償として八代郡高田郷を与える。
- 名和家を纏めた名和顕忠が八代郡高田郷を巡って相良長続と対峙。
- 八代城落城と菊池家内紛
- 1482(文明14)年:相良為続、島津国久の攻略により八代城落城。
- 1501(文亀元)年:菊池一族の宇土為光(宇土城主名和忠豊養子)が、相良為続の支援のもと、菊池武運を攻め宗家乗っ取り。有馬家の支援を得た菊池武運の反撃により宇土為光戦死。
- 相良長毎が宇土為光を支援していた名和顕忠を攻める。菊池武運の仲介によって八代開城。名和顕忠は宇土城へ。
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