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兜神社

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兜町と言えば日本のウォール街。その兜町の地名の由来となった兜岩があるのが兜神社。

東京証券取引所の建物から道路を挟んですぐ目の前に鎮座している。この兜岩は、1050年、前九年の役に際して東北に赴く際の源義家が、この岩に願を懸けて戦勝を祈願したという伝承が残っている。

実は、それ以外にも、藤原秀郷が討ち取った平将門の首と兜を940(天慶3)年に埋葬して塚としたという伝承や、源義家が前九年の役からの凱旋の途上で楓川の畔に兜を埋めて塚という伝承もある。

ちなみに、同じく前九年の役の話であるが、源義家ではなく、その父親の源頼義が、楓川ここで暴風逆浪にあい、鎧を海中に投げ入れて竜神に祈りを捧げたところ、無事に渡河することができたので、この辺りを鎧が淵と言うようになったという。

この楓川というのは、現在の日本橋川から南に分流していた河川であり、今は埋めてられてしまって存在していない。そもそも、伝説の源となった時代には日本橋川は無かったろう。

しかし、その時代には幾つも河川が江戸湾に流れ込んでいたことだろう。文字通り茅場町だったということになる。

それはさておき、江戸時代には田辺藩牧野屋敷内に平将門を祀る鎧稲荷が鎮座していた。

これが、明治になって1871(明治4)年に三井物産の前身である東京商社の移転に伴って平将門を祀る鎧稲荷と源義家を祀っていた兜塚を合わせて兜神社となった。

1874(明治7)年には、源義家を祀ることを止めて、三井家が信仰していた三囲稲荷神社(墨田区向島)の摂社である福神社に祀られていた大国主命と事代主命を勧請した。

何故に源義家を祀ることを止めてしまったのだろうか。武家の棟梁であり鎌倉、室町、江戸の3幕府を創設した源家の祖先であるということが関係しているのだろうか。

それから、1927(昭和2)年に現在地に移転したという。

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これが源義家ゆかりの兜岩。



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Last-modified: 2010-12-04 (土) 21:33:08 (3095d)