横浜 鎌倉幕府歴代執権

伝北条貞顕の墓

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称名寺にある。北条貞顕(1278[弘安元]-1333[元弘3])は顕時の子。

六波羅探題南方を経て鎌倉幕府第15代執権。父は得宗被官による御家人討伐の霜月騒動で一時失脚している。子の貞顕も六波羅探題時代に舅の連署北条時村が得宗被官に討たれ嘉元の乱では連座を覚悟している。

14代執権北条高時の出家に際して、内管領長崎高資によって高時の子の邦時の中継ぎとして擁立される。しかし、外戚の安達氏と組んだ高時の弟の北条泰時による暗殺の危険が迫り辞任。金沢北条家は金沢文庫で知られる学問の家だけに権謀術数には向かない。ところが、何故か陰謀の渦に付き纏われる。

貞顕は鎌倉幕府滅亡時に東勝寺で自刃。

なお、1935年に宋代の青磁壺が発掘されたことなどから、父の顕時の供養塔とされている。



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:23:05 (5179d)