丸岡城 †福井の丸岡にある柴田氏ゆかりの古城で別名を霞ヶ城という。 1576年に北庄城の支城として、柴田勝家(1522-1583)の甥の柴田勝豊(1556-1583)によって築城された。現在、日本に残っている天守閣は12だが、その中で最も古いのが丸岡城の天守閣。 勝豊は勝家が佐久間盛次の三男で同じく養子の勝政(1557-)を重んじたことから、大谷吉継調略を受けて豊臣秀吉方に与し養父と対峙した。 もっとも、賤ヶ岳の戦いの時には既に病床にあり、戦の直前に京都の東福寺で亡くなった。 丸岡城は福井藩に属した後、1613年には鬼作左こと本多重次の長男・本多成重(お仙)が福井藩主・松平忠直の付家老として入った。 4代・本多重益(1663-1733)の代に太田又八と本多織部両派による藩内抗争が激化。1695(元禄8)年に第5代将軍・徳川綱吉によって改易。 本多家は1709(宝永6)年に徳川家宣が第6代将軍に就任した際に恩赦され旗本寄合組として復権した。 それはさておき、本多家の後の丸岡には越後糸魚川藩から有馬家が入り明治維新まで続いた。
2010年8月20日訪問
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