黒田如水邸跡

上京区一条通猪熊西入南にある。

黒田如水(1546-1604)は播磨国の小寺家の家臣であった黒田職隆の子として生まれた。職隆は小寺政職の育てていた明石城主明石正風の娘を妻とし小寺一門に加えられている。御著城主小寺政職に仕えていたが、織田信長の中国征伐に際して、羽柴秀吉に請われて秀吉の麾下に加わった。1577(天正5)年には茨木城主荒木村重が織田信長に叛旗を翻した時に説得のために伊丹城に赴くも捕らえられ幽閉される。後に救出されるが生涯両足が不自由な身の上となる。

備中高松城の水攻め、中国大返しの献策で知られ竹中半兵衛とともに秀吉の両兵衛と称された。

如水は豊臣秀吉の聚楽第の東北に邸を設けた。ちなみに、この辺りは如水町と呼ばれる。


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