永観堂禅林寺

浄土宗西山禅林寺派。総本山永観堂禅林寺。正式な名称は聖衆来迎山無量寿院禅林寺と長い名前。弘法大師の弟子真紹僧都(797−873)に帰依した藤原関雄が853(仁寿3)年に別荘を寄進したのが始まり。この頃はまだ永観堂とは呼ばれていなかった。永観堂の名は永観律師(1033−1111)の名前に由来する。永観律師は禅林寺の境内に薬王院を設けて貧しい人々を救ったことで知られている。このお寺の面白いところは、その後のエピソード。創建当時の真紹僧都が弘法大師の弟子であったことで分かるように、当初は禅林寺は真言密教のお寺だった。それが変わったのが、静遍僧都(1166−1224)の代。静遍僧都は真言宗の僧侶として、源頼朝の帰依を受けたほどの人物。その静遍僧都が、専修念仏を唱導する鎌倉仏教の浄土宗を開創した法然上人(1133−1212)を批判するために、その著書である「選択(せんちゃく)本願念仏集」を読み込むうちに、かえって深く感銘を受ける。そして、なんと、法然上人の高弟西山証空上人(1177−1247)に住職の座を譲ってしまう。証空上人の後には弟子の浄音上人(1201−1271)が住職となって、禅林寺は浄土宗西山派の寺院となったという。

ちなみに、証空上人の流れを汲む永観堂の禅林寺派と光明寺を総本山とする西山浄土宗光明寺派、それに誓願寺を総本山とする浄土宗西山深草派を西山三派といい、九州地方で活躍した弁長(1162−1238)の鎮西流とともに大きな流れを形成した。


2003.11訪問

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