新那智山観音寺_今熊野観音寺

西国三十三観音巡礼の15番札所として知られる。泉湧寺から来迎院へと下りさらに下って橋を渡るともう一つの世界が広がる。
本堂の前にある八十八所の砂を敷き詰めた場所で八十八所廻りをミニ体験。
そこで、なんと八十八所を残り10寺まで済ませたという達人に出会う。羨ましい限り。
この観音寺は泉湧寺が天皇家の菩提寺であるのと同じく天皇所縁の寺院であり、825年に嵯峨帝の勅願寺と伝わる。鎮座する地は東山三十六峰今熊野山と呼ばれ、熊野の聖地を東山に再現したかのよう。嵯峨帝の勅願による寺は後白河帝によって、永暦元(1160)年に改めて熊野権現を勧請、新那智山という山号を与えられた。
本尊は十一面観世音菩薩であり、この本尊は弘法大師空海が東山山中で熊野権現から授かった天照大神の手によるものであるという。弘法大師は天照大神による観世音菩薩を胎内仏として観世音菩薩を刻み、これを本尊として大同2(807)年に観音寺を創設したという。
ここにも、日本における神仏習合を見ることが出来る。その後、弘仁3(812)年には嵯峨帝の勅旨により堂宇を整え、続いて時の左大臣藤原緒嗣によって伽藍が整備された。
伽藍の整備は緒嗣の子である藤原春津によって斉衡2(855)年に完成に至っている。
また、この地は熊野観音の始まりから神仏習合に彩られていたように、今熊野信仰という形を採って宇佐信仰や国東半島などの神仏習合に大きな影響を与えた。将に東山の今熊野は神仏習合の発祥の地。


宗恕祖元律師によって正徳2(1712)年によって建立された本堂

平安様式の多宝塔医聖堂

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