臨済宗円覚寺


鎌倉幕府の執権、北条時宗の開基による臨済宗円覚寺派総本山。北鎌倉の駅を降りると、すぐ目の前にある。北条時宗は無学祖元(仏光国師)を中国から招聘し禅に帰依し、文永・弘安の役(※1)という二度に及ぶモンゴル帝国軍の日本侵攻に対処した。文永・弘安の役の後に、日本・モンゴル軍の戦死者を弔うために、円覚寺の建立を発願。
 同地より円覚経が出たことより、名を円覚寺としたという。開山の法灯は天竜寺の夢窓疎石に伝えられ「仏光派」を形勢した。

 弘安6(1283)年に鎌倉幕府の祈願所とされるも、弘安10(87)年と正応3(90)年に全山焼失という災難に遭う。その後、再建され、室町時代には五山第二に列せられ、建長寺と並んで双璧をなした。戦国時代以後は寺勢は衰えたが、江戸末期に誠拙和尚により伽藍を復興し円覚寺を再興した。これが、およそ現在の円覚寺の姿となっている。
 山内には、18ヵ寺の塔頭(たっちゅう)がある。
※1)文永の役は文永11(1274)年。弘安の役は弘安4(1281)年。


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