宮川藩(近江)

初代藩主堀田正休(明暦元[1655]年−享保16[1731]年)は1660年に父親の堀田正信が万治3(1660)年に老中・松平信綱と対立し無断帰城したために改易。しかし、祖父の堀田正盛の功績によって第5代将軍徳川綱吉の子・徳川徳松(5歳で急逝.1681年11月15日に行われた健康祈願祭が七五三の始まりとなる.)の側役となり復権した。当初、上野吉井に1万石。宮川藩3代藩主正陳は若年寄。6代正民は画家としても知られ『蜻蝶譜』が有名。

宮川藩は現在の長浜市宮司町かつての坂田郡宮川に陣屋を構え1869年時点で士族380人、人口6700人、石高1万3000。


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