山形県

村山地方、最上地方、置賜地方、庄内地方に分けられる。山形県は庄内地方の飽海郡を除いて羽前国。飽海郡内には堀、広野、袖浦、東平田、北平田、中平田、上田、本盾、南遊佐、西荒瀬、飛島を合わせた酒田市、稲川、西遊佐、遊佐、蕨岡、高瀬、吹浦を合わせた遊佐町、一条、観音寺、大沢、日向を合わせた八幡町、上郷、松嶺、内郷を合わせた松山町、田沢、北俣、南平田を合わせた平田町がある。

庄内地方には飽海郡の他に西田川郡、東田川郡がある。西田川郡は、栄、京田、大泉、湯田川、黄金、斎、田川、上郷、豊浦、加茂を合わせた酒井家14万石の鶴岡市、西郷を含む大山町、念珠関、福栄、温海、山戸を合わせた温海町がある。一方の東田川郡には出羽三山で知られる羽黒町がある。羽黒町域には広瀬、泉、手向が含まれる。黒川能で知られる黒川、山添は櫛引町に、大泉、本郷、東は朝日村に、立谷沢、清川、狩川は立川町に、大和、十六合、八栄里、常万、栄は余目町に、長沼、八栄島、東栄、渡前は藤島町に、横山、押切、東郷は三川町に含まれる。旧国府、旧郡役所は藤島町に置かれ、三川町には庄内支庁が置かれている。

最上地方は最上郡に相当する。ここには、萩野、八向、稲舟を含む戸沢家7万石の新庄市、金山町、東小国、西小国を合わせ旧有路家住宅で知られる最上町、堀内を合わせた舟形町、安楽城、及位を合わせた真室川町、大蔵村、豊里、豊田を合わせた鮭川村、古口、角川を合わせた戸沢村がある。

村山地方は北村山郡、西村山郡、東村山郡、南村山郡に分かれる。北村山郡には、福原、宮沢、玉野、常盤を合わせ銀山温泉で知られる尾花沢市、東郷、高崎、大富、小田島、長瀞(長瀞藩米津家)を合わせ佐藤錦で知られ東根市、盾岡、西郷、大倉、大久保、富本、戸沢、袖崎、大高根を合わせた村山市、横山、大石田、亀井田を合わせた大石田町がある。

西村山郡には大井沢、本道寺、川土居、西山を合わせた西川町、西根、柴橋、高松、醍醐、白岩、三泉を合わせた寒河江市、西里、溝延、谷地、北谷地を合わせた河北町、大谷、宮宿、西五百川を合わせた朝日町、大江町がある。大江広元に因む大江町は左沢(あてらざわ)、本郷と七軒を合わせた漆川を合わせて誕生。

東村山郡には、成生、蔵増、津山、寺津、田麦野、山口、豊栄を合わせた天童市、大寺、中、作谷沢、相模を合わせた山辺町、長崎と豊田を合わせた中山町がある。豊栄は天童藩織田家の領地で、千布、高櫛、山寺を合わせたものだった。

南村山郡は飯塚、椹沢、滝山、東沢、南沼原、高瀬、盾山、出羽、明治、大郷、金井、大曾根、山寺、蔵王、村木沢、本沢、柏倉門伝を合わせた山形市、西郷、本庄、東、宮生、中川、山元を合わせた上山市がある。山形市は最上家57万石の城下町だった土地で最上家の後は水野家5万石、上山市は松平家3万石の城下町として知られた。

置賜地方は東置賜郡、西置賜郡、南置賜郡からなる。東置賜郡は中川を合わせた赤湯、吉野、金山、漆山を合わせた宮内、梨郷、沖郷を合わせた和郷が合併した南陽市、二井宿、屋代、亀岡、和田、糠野目を合わせた高畠町、大塚、犬川、小松、中郡、玉庭、吉島を合わせた川西町がある。

西置賜郡には、南小国、北小国、津川を合わせた小国町、西根、平野、伊佐沢、豊田を合わせた長井町、蚕桑、鮎貝、東根、荒砥、十王、南置賜郡の中津川を合わせた白鷹町がある。

南置賜郡は米沢藩上杉家15万石の地。万世、広幡、六郷、塩井、三沢、窪田、山上、上郷、南原、上長井を合わせた米沢市がある。


左沢藩は元和8年に酒井直次が12,000石で封じられたが寛永7年に直次が除封され廃藩。

上山藩は最上家の改易の後に山形に鳥居忠政、鶴岡には酒井忠勝とともに、鳥居忠政の従兄弟の能美松平重忠が遠江国横須賀より4万石で入った。蒲生忠郷の弟の蒲生忠知の後、土岐家、金森家と続き松平(藤井)家が幕末まで治めた。

天童藩は織田信長の二男信雄を祖とする。

長瀞藩は米津通政が寛政10年に武蔵国久喜から2万石で転封。

山形藩は最上義光から3代の義俊の代に実質的な改易を受けてから鳥居家、保科家と続き、保科家が会津へと移った後は幕末の水野家まで目まぐるしく領主が変わった。

新庄藩は最上家が実質的な改易処分となった後、山形に入った鳥居忠政を支える目的で鳥居忠政の妹婿だった戸沢政盛が入った。

米沢藩は上杉景勝が紆余曲折の末入っている。
米沢藩藩主上杉吉憲は領内新田1万石を弟の上杉勝周に分与して藩庁内に米沢新田藩を分立させている。


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