ぶらぶら絵葉書

東京市政会館

市政会館は, 日比谷公園南東の地に立つ, 重厚かつ時代性を併せもつ公共建築である.その起源は, 1922[大正11]年2月に東京市政調査会が設立されたことに遡る.1920[大正9]年12月に東京市長に就任した後藤新平が, ニューヨーク市政調査会を範として地方自治の調査・研究を行う独立公正な機関として同会を設立し, 自ら初代会長に就任した.後藤は実業家・初代安田善次郎から巨額の寄付を受け, 公園内に市政調査会の会館と公会堂を併設する構想を具体化させた.

設計は, 1922[大正11]年12月に東京市政調査会が建設要項を示し, 指名された著名建築家8名による設計競技が実施された.翌年3月に18案が提出され, 審査の結果, 元早稲田大学工学部教授・工学博士の佐藤功一の案が一等に選ばれた.建設予定地は当初公園の北東部であったが, 建築認可の難航により南東部に変更された.

基礎工事は1925[大正14]年10月に清水組[現・清水建設]により着手された.日比谷公園一帯はかつて日比谷入江と呼ばれた海であったため軟弱地盤であり, 「お化け丁場」と称される難工事となった.盛土箇所の陥没や隣接道路の亀裂などの問題により工事は1年以上中断されたが, 1927[昭和2]年に認可が下り, 根切底に長さ約18メートルの松材杭2,200本を打ち込み, 鉄筋コンクリートで筏組をつくり, その上に鉄骨鉄筋コンクリート造で建設する堅牢な工法が採用された.昭和3[1928]年より本格的な建設工事が始まり, 1929[昭和4]年10月19日に竣工した.なお, 後藤新平は同年4月に急逝しており, 完成した市政会館を見ることはなかった.

外観は茶褐色のスクラッチタイルで覆われ, 塔時計を備えた近代ゴシック様式の落ち着いた意匠をもつ.建物は地上6階・塔屋4階・地下1階の構成で, 柱形を連立させて垂直性を強調したデザインが特徴である.一部の窓に使われた黄色テラコッタが, 垂直線を強調したデザインにアクセントを与えている.この建物は, 市政調査会のオフィスと日比谷公会堂という異なる用途をひとつの立面構成で統合した設計がなされており, それにより高い完成度を実現している.市政会館は国会通りに面し, 公会堂は日比谷公園側に主出入口を設け, 2階のバルコニーが公園内の庭園と一体となるようデザインされている.

建築当初から, エレベーター2台, 暖房・換気装置, 防火装置, メールシュート, 給湯・給水・衛生設備, 電話設備などの最新鋭設備が施され, 世界でも最先端を行くオフィスビルとして誕生した.竣工当日から11月10日にかけて, 関東大震災後の復興状況を説明した「帝都復興展覧会」が会館内で開催され, 約11万4千人の入場者を集めた.

市政会館部分は東京市政調査会[現・公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所]が, 公会堂部分は東京市[現・東京都]が管理する独立分担制が竣工時から続いている.落成式当日には, 二代目会長・阪谷芳郎から東京市長へ公会堂のマスターキーを受け渡すセレモニーが行われた.市政会館は「賃貸先は公共性の事業を営むものとすること」を入居条件とし, 現在も地方自治体や公共性の高い財団・社団法人が使用している.

市政会館の文化的価値は高く評価され, 1999[平成11]年6月には東京都選定歴史的建造物に選定され, 2023[令和5]年3月16日には東京都有形文化財[建造物]に指定された.また, 竣工時の構造図面や申請書類などの資料も重要な記録として文化財の附に指定されている.

建設当初より日比谷公園の景観の象徴として位置づけられ, 日比谷公会堂との併存は公園のランドマーク性を強めるものとなった.長期にわたりオフィス, 集会施設として使用されてきたが, 歴史的建造物としての保全が財団によって進められ, タイルの修復や塔時計機械室・天井裏のレリーフなどを今に伝える保存・修復事業が継続されている.

日比谷公園付近は現在も地盤沈下が目立つ地域であるが, 堅牢な基礎工事により市政会館・日比谷公会堂の建物はほとんど影響を受けていないとされる.これは軟弱地盤に対する佐藤功一の技術的対応が優れていたことを示すものであり, 都市の歴史と地盤変動が建築物に与える影響, そしてそれに対する建築技術の重要性を示す事例として, 市政会館は建築史上も貴重な存在である.

東京・千代田区日比谷公園@2025-11


今日も街角をぶらりと散策.
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