ぶらぶら絵葉書

槇島城

宇治にある室町幕府将軍家最期の城.

槙島は,かつて存在した巨椋池に浮かぶ島であり,真木島氏が居城を構えていた.

真木島城主として有名な人物としては足利将軍家の家臣の真木島昭光が挙げられる.昭光は足利一門の一色信濃守輝元の子であり,一色輝元槙島城を与えられたことにより真木島を名乗った.

しかし,もともと槙島城を居城としていた真木島一族で真木嶋六郎藤原光通は第9代将軍足利義尚の奉公衆だったということが知られている.つまり,一色輝元槙島城の城主に任じられたのは槙島氏の血脈を汲んでいたという説もある.

1572[元亀3]年,織田信長は第15代将軍足利義昭に17条の意見書を突き付け,両者の対立は決定的に.足利義昭は北近江の浅井長政,越前の朝倉義景,真宗大谷派第11代門首・顕如の率いる石山本願寺,甲斐の武田信玄織田信長包囲網を構築.

足利義昭は居城の二条城を堅固にし,淀城には三好三人衆の一人・岩成友通を入れ,近江石山城には六角家臣の出で幕臣として取り立てた山岡景友を据える.

対して,織田信長島田秀満,村井貞勝,朝山日乗らを派遣して将軍との和睦を目指すも拒絶される.

1573[元亀4]年2月20日,今堅田・石山の戦いが行われ織田軍が勝利.3月には足利義昭松永久秀,三好本家最後の当主・三好義継,三好三人衆[三好長逸・三好宗渭・岩成友通]らとともに二条城にて挙兵.織田信長は,急遽,上京.二条城を囲むように4つの付城を築いた上で正親町天皇の勅命を受けて和睦.

しかし,これで終わった訳ではなく,織田信長はすぐに上京できるように佐和山に留まる.一方,足利義昭二条城細川藤孝の異母兄・三淵藤英に預けると槙島城に籠城.この籠城を受けて,織田信長は上京.妙覚寺に陣を布陣し二条城を開城させた.

次いで,槙島城に進軍.大軍に囲まれた足利義昭は嫡男の義尋を人質として開城,降伏.

ここに,室町幕府は実質的に幕を下した.

京都府宇治市槇島町薗場@2014-10


今日も街角をぶらりと散策.
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