ぶらぶら絵葉書

遠江堀江城主大沢基胤夫妻の墓

大沢基胤[大永6〔1526〕/慶長10-06-28〔1605-08-12〕]は今川家に支えて,徳川家康による遠州侵攻でも今川方の遠州最後の拠点として抗戦したことで知られる.大沢基胤は主君である今川氏真の許可を得て,攻め落とせなかった徳川軍による和睦に応じた.

その後は徳川麾下となる.

その妻は,後二条天皇の皇子である皇太子邦良親王を祖とする木寺宮の出身.大覚寺統で洛西の葛野郡木寺に邸宅を営んだ邦良親王は,同じく大覚寺統後醍醐天皇の皇太子であったが病弱であったために皇位を継承する前に薨去.鎌倉幕府打倒を目指した元弘の乱後醍醐天皇が敗れて廃位されると,持明院統から光厳天皇が即位.その皇太子として邦良親王の子の康仁親王が立てられた.

しかし,鎌倉幕府が滅亡し後醍醐天皇が復位し光厳天皇の即位が無かったものとされるに及んで康仁親王は廃位.その子孫は経済的基盤を求めて遠州へと下向した.

大沢基胤木寺宮姫の子である大沢基宿[もといえ]の子孫は高家旗本大沢家として存続.

豊島区池袋3丁目@2024-07


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