同潤会青山アパートメント
建物の所在地は表参道の緩い坂道に沿った変形敷地で, この立地条件を活かした配置計画が特徴であった.表参道に面していることで都市の顔としての役割を担い, ファッショナブルな街並みの一部として機能していた.建物は鉄筋コンクリート造で地上3階建て, 総戸数は60戸程度で, 設計には都市生活者の利便性を考慮し, 近代的な設備として上下水道・ガス・電気が備えられ, 各戸には洋式水洗便所やバス・キッチンが整備されていた.居住空間は中産階級を想定した設計であったが, 集合住宅としての合理性も兼ね備えていた.
同潤会青山アパートメントは, 建築様式として装飾を抑えた簡潔なモダニズムの影響を受けつつも, 外観には瓦屋根や腰壁など日本的要素も取り入れられ, 和洋折衷のデザインが特徴であった.建物は表参道や周囲の街路と調和する配置とされ, 低層ながら都市景観に大きな存在感を与えたことが評価される.1945年の東京大空襲に関して, 建物自体は被害を受けなかったが, 「ケヤキが焼け残った」という逸話は確認できず, 事実として扱うことは避けるべきである.
戦後は建物内に個性的なブティックや店舗が入居し, 表参道のレトロなスポットとして人気を集めた.一歩内側に入ると都心とは思えない静かで落ち着いた空間であり, モダンな建築と商業機能が融合した独特の雰囲気を醸し出していた.
しかし戦後の都市開発の進展に伴い, 建物は老朽化と耐震性の問題を抱えるようになった.建て替えの構想は1968年頃から議論されていたが, 最終的に2003年[平成15年]に解体され, 跡地には建築家安藤忠雄の設計による「表参道ヒルズ」が2006年2月に開業した.この再開発では, 外観東端の1棟が忠実に再現され, 「同潤館」として表参道ヒルズの一部を構成している.
同潤会青山アパートメントは, 単なる居住空間にとどまらず, 関東大震災後の都市復興と近代化, 都市型集合住宅の導入という歴史的意義を持っていた.表参道という東京の代表的な商業地区に立地し, 都市住居の近代化を推進した先駆的事例として, 今日の都市住宅史において重要な位置を占めている.その歴史と文化的価値は, 現在の表参道ヒルズ内の同潤館を通じて後世に継承されている.
@1998
今日も街角をぶらりと散策.
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