東京メトロ東西線[T]
東西線の構想は戦前にまで遡るが, 具体的な計画が進展したのは戦後の復興期であった.1950年代後半, 東京の急速な人口集中と通勤輸送の逼迫に対応するため, 都心と郊外を短時間で結ぶ新しい地下鉄路線が求められていた.当時の帝都高速度交通営団[営団地下鉄]は, 都心を東西に横断し, さらに千葉県方面に直通する路線を構想し, これが東西線の原型となった.
最初の区間は, 1964[昭和39]年12月23日に高田馬場駅—九段下駅間[4.8キロメートル]が開業した.これは東京オリンピック開催の年であり, 都市インフラ整備が加速していた時期である.翌1966[昭和41]年3月16日には九段下駅・竹橋駅・大手町駅・日本橋駅間が延伸され, さらに同年10月1日には日本橋駅・東陽町駅間が開通して, 都心の骨格を形成した.その後, 東西方向への延伸が続き, 1969[昭和44]年3月29日には東陽町駅・西船橋駅間が開通し, 千葉県船橋市まで到達した.これにより, 東西線は東京都心から千葉県までを直結する通勤路線として完成した.
西側では, 1969[昭和44]年3月29日に高田馬場駅・中野駅間が延伸され, 同時に日本国有鉄道[国鉄]中央線[現・JR東日本中央線各駅停車]との直通運転が開始された.これにより, 三鷹駅から東西線を経由して西船橋駅・津田沼駅方面まで直通する列車が運行され, 通勤ネットワークの一体化が進んだ.東側では, 1969[昭和44]年3月29日の西船橋駅延伸と同時に, 国鉄総武線との相互直通運転が開始された.さらに1996[平成8]年4月27日には東葉高速鉄道線[西船橋駅・東葉勝田台駅間]が開業し, 東西線は西船橋駅を介して東葉勝田台駅までの広域ネットワークを形成するに至った.
東西線は, 地下鉄路線としては比較的長距離運行を特徴とし, 都心部の地下深くを走る区間と, 江東区以東で地上・高架区間を走る部分とが明確に分かれている.中野駅・大手町駅間はビジネス街を貫き, ラッシュ時には日本有数の混雑率を記録してきた.国土交通省の調査によれば, 木場駅・門前仲町駅間はピーク時混雑率が長年にわたり180%を超え, 2010年代には200%に迫る水準となり, 日本一混雑する路線として知られた.近年は大手町駅での乗り換え分散や輸送力増強により混雑は緩和傾向にあるが, 依然として高い混雑率を維持している.
一方, 東陽町駅以東では住宅地を通過し, 通勤者の大量輸送路線としての性格が際立っている.特に朝ラッシュ時には運転間隔が極めて短く, 首都圏の都市鉄道としての効率性を象徴している.地上区間では, 南砂町駅・西葛西駅間などで荒川・旧江戸川を橋梁で渡る区間があり, 車窓からの眺望が開ける.
運行面では, 東西線は東京の地下鉄としては比較的早い時期から自動化技術の導入が検討されたが, 実際のATO[自動列車運転装置]の本格導入は他路線と比較して遅れ, 2010年代以降に段階的に整備が進められた.車両は時代ごとに更新され, 開業時の5000系に始まり, 05系, 07系を経て, 現在では15000系が主力車両として運用されている.また, JR東日本のE231系800番台, 東葉高速鉄道の2000系も直通運転により東西線内を走行する.
東西線は東京メトロの中でも地上区間が長く[西船橋駅寄りの約3分の1が地上・高架区間], 気象条件の影響を受けやすいという特徴を持つ.特に荒川・旧江戸川を渡る橋梁区間では, 強風による速度規制や運転見合わせが発生しやすく, 輸送障害の要因となっている.
2004[平成16]年4月1日, 帝都高速度交通営団の民営化により, 東西線は東京地下鉄株式会社[東京メトロ]の路線となった.現在も首都圏東西方向の大動脈として, 1日あたり約140万人の旅客を輸送し, 東京の都市機能を支える重要なインフラとして機能している.
@2023-01-03.
今日も街角をぶらりと散策.
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