若きコンラッド

コンラッド[Corradino,1252-03-25/1268-10-29]はホーエンシュタウフェン朝[Hohenstaufen, 1138/1208年,1215/1254]の最後のローマ王であるコンラート4世[Konrad IV., 1228-04-25/1254-05-21]の子.

コンラート4世の父である神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世[Friedrich II, 1194-12-26/1250-12-13]がローマ教皇グレゴリウス9世[Gregorius IX, c.1143/1241-08-22]と対立.コンラート4世も若くして世を去る.

ドイツ諸邦は,コンラート4世以降,大空位時代[Interregnum,1254/1273]となる.

こうした状況の中,コンラッドは,母方の叔父のバイエルン公兼ライン宮中伯ルートヴィヒ2世[Ludwig II., 1229-04-13/1294-02-02]に保護され,教皇派との抗争を引き継いだ.しかし,1268年にシチリア王位を狙って北イタリアに侵攻し,フランス王ルイ8世の子でカペー系アンジュー家の祖で,ローマ教皇クレメンス4世からシチリア王カルロ1世として戴冠されていたシャルル・ダンジュー[アンジュー伯シャルル,Charles d'Anjou, 1227-03-21/1285-01-07]とタリアコッツォの戦い[Battle of Tagliacozzo]で激突.捕えられて処刑された.これにより,ホーエンシュタウフェン朝は完全に滅亡.

チューリッヒの貴族であるマネッセ家の注文により,1280年頃から1330年頃に掛けて制作された,中世ドイツの代表的な140人の宮廷詩人の詩歌を収録した大型豪華彩飾写本であるマネッセ写本[Codex Manesse oder Die Manessische Liederhandschrift]の一部.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

INDEX





















- - - -