亀甲に三枚笹

筑後国の有力国衆である星野氏の家紋.

星野

調姓黒木氏支流.いわゆる調一党の一族.筑後国上妻郡猫尾城[福岡県八女市]の黒木氏の一族.筑後国生葉郡星野邑を本貫地とする.耳納山地の妙見城[福岡県うきは市]を居城とした.

永正4[1507]年に,大友義長[1478-1518]が妙見城に攻め寄せ星野重泰を討ち取っている.さらに,天文元[1532]年には,大内義隆に攻められ星野親忠が討死.

龍造寺隆信[1529-1584]が黒木氏領に侵攻した際,星野吉実は黒木氏の猫尾城に入り迎え討っている.また,星野吉実の子・親忠は大内義隆・毛利元就による侵攻を受けた際に妙見城で討死.

星野親忠の弟・重実の娘と蒲池鑑広[-1580]との間の子・星野鑑泰が星野氏の名跡を継ぎ大友義鑑に属する.星野鑑泰は大友方として肥後国勝山にて討死.その跡は子の鎮虎も大友方として龍造寺軍と対峙.

豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久が激突した耳川の戦い[1578]で大友氏が敗れると,龍造寺氏に従い,次いで島津氏に従う.天正14[1586]年に,星野鎮胤・鎮元兄弟は島津方として筑前国糟屋郡高鳥井城において立花宗茂[1567-1643]と戦い討死.

星野一族は離散し,小城藩鍋島家に仕えた家も.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.