撫子

齊藤氏や大宰府府官大蔵氏を出自とする筑後国の国衆である田尻氏の家紋.

田尻

大蔵氏族.戦国時代の大友氏配下の大身十五家[筑後十五城]の一つ.

田尻氏は,代々,福岡県みやま市にある田尻城を本拠地としていた.

天文17[1548]年,田尻親種は大友義鑑[1502-1550]から鷹尾村[福岡県柳川市大和町鷹ノ尾]を拝領し鷹尾城を築城し拠点を移す.その際,田尻城には田尻左京を城代として据えた.

天正6[1578]年,大友宗麟が耳川の戦いで島津義久に大敗.これを受けて,田尻親種の子・田尻鑑種は大友宗麟から離叛し龍造寺隆信[1529-1584]に与する.天正9[1581]年,田尻鑑種は龍造寺隆信[1529-1584]の命で柳川城の蒲池鎮漣[1547-1581]を攻め滅ぼした.急速に台頭した田尻鑑種に対して,島津義弘は調略を進め,田尻鑑種もこれに応じる.天正10[1582]年,離叛が発覚した田尻鑑種は謀反.田尻軍は鷹尾城を始め,江ノ浦城・濱田城・津留城・堀切城に籠城して龍造寺軍を迎え討った.島津義久も要請に応えて帖佐宗光・田尻但馬を派兵.龍造寺軍は鍋島直茂[1538-1618]の義兄・石井賢次[-1582]が討死したことで,鍋島直茂が龍造寺四天王の百武賢兼[-1584]に江ノ浦城主・田尻了哲との和睦交渉を指示.田尻鑑種もこれに応じ,龍造寺政家[1556-1607]と和睦し鷹尾城を引き渡し龍造寺氏に帰参し佐嘉郡へと移った.

以降,鍋島直茂麾下として組み込まれた.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.