蜂塚

清和源氏義重流新田氏族.鳥取県日野郡江府町[伯耆国日野郡]にある江美城に拠った.

江美城は,文明16[1484]年,蜂塚安房守による築城と伝わる.鉢塚氏は,蜂塚三河守,蜂塚丹波守と続いた.蜂塚丹波守の子・蜂塚右衛門尉は尼子氏から毛利氏に属するようになる.しかし,石見国山吹城主の本城常光[1513-1562]が永禄5[1562]年に毛利元就によって誅殺されると,同じように尼子氏から毛利氏に降っていた武将とともに蜂塚右衛門尉も尼子氏方に帰参.永禄7[1564]年8月,杉原盛重[1533-1582]・山田満重が率いる毛利軍が江美城を攻め落城.蜂塚右衛門尉ら一族は自刃.

家紋は丸に一つ引きなど.

出典:19950523-2400442

日野衆

室町時代から戦国時代にかけて,鳥取県日野郡[伯耆国日野郡]を本拠地とした国人衆のこと.

日野山名氏日野屋形家.丹後・出雲・隠岐守護の山名義幸を祖とする.土居城[鳥取県日野郡江府町俣野]に拠った.守護職は弟の満幸が承継し義幸の子孫は日野山名氏と呼ばれた.
日野氏日野郡郡司を務めた家柄.鎌倉時代には御家人となり,室町時代にも日野郡に勢力を保った.
蜂塚氏清和源氏義重流新田氏族.江美城主.
進氏平安時代末期に伯耆国西部[西伯耆・会見郡東部]に勢力を誇った紀成盛を祖とする.紀成盛は村尾海六とも呼ばれた.戦国時代には南条氏の家臣団として組み込まれた.





















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