
大和国十市郡飫富郷[奈良県磯城郡田原本町]を本拠とした一族.太・大・意富・於保とも作り,神武天皇の皇子である神八井耳命の後裔と伝える.
『日本書紀』には景行天皇の筑紫巡幸の倍従者として多氏の武諸木の名がある.火君・大分君・阿蘇君・筑紫三宅連とは同族.
壬申の乱において多臣蒋敷の子の多臣品治[ほんち]は大海人皇子に与して戦功をあげた.多臣品治の子の太朝臣安麻呂は『古事記』の編者として知られる.
印波国造・伊都許利命[いつこり;下総国印波郡印波郷]とも同族であり,千葉県成田市台方に鎮座する麻賀多神社は多氏ゆかりとも言える.

| 科野国造裔 | |
| 筑紫国造裔 | |
| 阿蘇国造裔 | |
| 印波国造裔 | |
| 多臣氏族 |
出典:20210530-0127
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