今野

〔読み〕こんの.

宮城県・福島県・岩手県・山形県などに多く見られる。読みは「こんの」が一般的であるが、「いまの」「こんや」などの異読も存在する。現在の分布からみても、東北地方、とりわけ宮城県・福島県を基盤として発達した名字と考えられる。

「今野」という名字については、全国に一つの起源を持つというより、「今野」という地名・小字名を起源とする地名姓と、古くからの在地氏族・家名が複数存在した可能性を考える必要がある。「今野」という地名は東北地方を中心に各地に確認される。「今」は「現在」「新しい」という意味だけではなく、地名では「新しく開かれた土地」などを表すことがあり、「野」は野原・開墾地などを示す一般的な地名要素である。そのため、「今野」は「新しく開かれた野」「新しい野」という意味を持つ地名から生じた可能性がある。

よく知られているのは、現在の岩手県一関市千厩町周辺を本拠とした金野(今野)氏である。室町・戦国期に千厩郷に金野(今野)氏が拠っていたことが確認されている。この金野(今野)氏については、鎌倉時代の建久年間、葛西清重の家臣であった里見義綱が東磐井の所領を与えられて千厩郷に居住し、母方の姓を取って「金野」と改姓したという系譜伝承がある。また、気仙郡司の金氏の流れとする異説も伝えられている。つまり、ここでは「今野」という姓が単純に「今野という地名から生じた」と説明されているのではなく、金野という中世在地氏族が後に「今野」と表記されるようになった系統が存在すると言える。戦国期にはこの金野氏は葛西氏の家臣となっていたとされ、天正17年(1589)の留守景宗書状に見える葛西家臣「千厩小太郎」を、金野氏9代の右馬允重安に比定する説もある。さらに江戸時代の『仙台領古城書上』にも、千厩城の城主を「金野右馬丞」と伝える記録がある。

岩手県陸前高田市長部周辺の今野氏も知られる。長部の二日市館について、岩手県の発掘調査報告書は、近世地誌である『長部村風土記御用書出』などが「今野助九郎」を城主として記載していることを紹介している。また、今野助九郎は1590(天正18)年の葛西・大崎一揆で討死したと伝えられている。

さらに同地域では今野内膳という人物も知られ、葛西氏の家臣として二日市館を支配したとする伝承がある。但し、今野内膳を「葛西七人衆」の一人とする伝承もある。ただし、今野氏と、その前に長部を支配していた矢作千葉氏・長部氏との関係は確定していない。研究報告書も、今野氏が長部千葉氏の家臣だった可能性、あるいは長部千葉氏の後に当地を支配した可能性が指摘されている。

さらに宮城県石巻市周辺にも、古くからの今野家が存在する。旧橋浦村・旧大川村など北上川下流域には、江戸時代に肝入を務めた今野家があり、その家の起源については永禄年間(1558~1570)頃に飯野川へ移住した今野一族に求める郷土史上の伝承がある。安永年間の「風土記御用書上」に、今野和泉という葛西氏家臣が、岩手郡千厩村から永禄年間に移住してきたと記されている。そして、その子孫が飯野川の今泉家などにつながったとされる。

福島県の相馬中村藩士の今野氏には、上記の葛西氏系とは全く異なる成立伝承がある。今川義元の愛妾の子が事情あって南相馬市原町区小浜に来住し、養育者の紺野姓を称した後、成人して実父の「今川」の「今」と養育者の「紺野」の「野」を合わせて「今野」と改姓したという伝承である。

初版:2025年04月15日(火).
2版:2026年8月30日(月)

デザイン名字.





















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