
ヤオハン[のちのヤオハン・ジャパン]は, 1929年に静岡県熱海市において和田良平と妻の和田カツが開いた青果店「八百半商店」に端を発する小売企業である.家族経営の小規模商店として出発した同店は, 戦後の生活物資需要の高まりの中で徐々に事業基盤を拡大した.和田カツの生涯は, 後年のおしんの主人公像のモデルの一つとされ, ヤオハンの原点には強い生活者視点と勤勉な労働倫理が刻み込まれている.
転機となったのは, 長男の和田一夫が経営の中核を担うようになった1960年代である.1962年に社長に就任した一夫は, 従来の青果店から近代的なスーパーマーケットへの転換を断行し, セルフサービス方式やチェーンストア理論を導入した.これにより静岡県東部を中心に多店舗展開が進み, 地域有力スーパーへと成長したのである.
1970年代以降, ヤオハンは国内企業としては早い段階から海外進出を志向した.1971年のブラジル進出を皮切りに, シンガポール, 香港, アメリカなどへ展開し, 「世界のヤオハン」と称されるまでに拡大した.とりわけ1990年代には, 中国市場への進出に経営資源を集中させ, 1995年には上海に巨大商業施設を開業するなど, 国際的流通企業としての地位確立を目指した.この時期, グループ全体の売上高は連結ベースで1兆円規模に迫る水準に達し, 日本発のグローバル小売企業として注目を集めた.
しかし, この急成長は脆弱な財務基盤の上に成り立っていた.海外展開や不動産投資の多くは社債発行などによる借入に依存しており, バブル経済崩壊後の景気低迷により資金繰りが悪化した.さらに1997年のアジア通貨危機が直撃し, 主力であった香港・東南アジア事業が深刻な打撃を受けた.その結果, 同年9月, ヤオハン・ジャパンは負債総額約1,600億円を抱えて会社更生法の適用を申請し, 戦後日本の小売業史においても最大級の経営破綻の一つとなった.
破綻後, 同社はイオン[当時ジャスコ]の支援を受けて再建が進められ, 2002年にはマックスバリュ東海へと社名変更が行われた.かつて広く知られたヤオハンの屋号は段階的に姿を消し, 現在では一部の歴史的記憶として残るにとどまっている.
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