
クアラルンプール・ケポン[KLK;Kuala Lumpur Kepong Berhad,マレーシア].
MYX:KLK
時価総額[2025]:約55億米ドル.
KLKの起源は1906年に英国ロンドンで設立された KLR[The Kuala Lumpur Rubber Company, Limited]に遡る.設立にあたっては, 20世紀初頭のゴムブーム[自動車産業の勃興に伴う空気入りタイヤ需要の急増]を背景に, 英国の投資家らによって資本金18万ポンドが拠出された.KLR は当初, マラヤ[現マレーシア]におけるゴムおよびコーヒー農園[プランテーション]を運営する目的で設立され, クアラルンプール周辺に5つの農園, 合計640ヘクタールの農地を取得しプランテーション事業を開始した.1907年, 英国ロンドン証券取引所に株式を上場させ, 資金調達と事業展開の基盤を得た.
1957年のマラヤ連邦独立後, 1959年から1961年にかけて KLR は事業拡大を加速させ, Kepong [Malay] Rubber Estates Ltd. をはじめとする複数のプランテーション企業を買収した.この買収により取得した最大の企業が Kepong 社であったことから, 1960年から1961年にかけて, KLR は社名を KLKA[Kuala Lumpur-Kepong Amalgamated Limited] に変更し, 保有農地は約3万ヘクタール[約73,000エーカー]に拡大した.この時期から油ヤシ[パーム]の植栽を始めた.1962年には Fraser Estate において最初の油ヤシ植栽[1,000エーカー]が開始され, その後年間約2,000エーカーのペースで植栽が拡大した.最初の油ヤシミル[Fraser Mill]は 1967 年に稼働を開始し, 1971 年には本社をクアラルンプールに移転した.そして 1972 年には税制上の居住地[tax residence]を英国からマレーシアへ移した.
すなわち,1969年5月13日, クアラルンプールにおいてマレー系と華人系の間の人種暴動が発生.これに対して,トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相[Tunku Abdul Rahman]が非常事態宣言を発令し事態を終息させた.この事態を受けて投資家の信頼は失墜し, マレーシア証券市場全体で株価が暴落.KLKA も例外ではなく, 株価は著しく過小評価された状態となった.この状況に着目したのが, イポー出身の錫鉱山経営者の息子で,マレーシアの華人実業家の李来成[Lee Loy Seng,後に Tan Sri Dato' Sri の称号を授与]であった.彼は以前からゴムプランテーションに関心を持っており, 先見の明をもって KLKA 株を買い集めていた.1970年4月17日, Lee Loy Seng は KLKA の取締役に任命され, これが同社の転換点となった.彼は農園経営の効率化と生産性向上に着手し, 1971年12月31日には65年間続いたロンドンでの取締役会が最後の会議を開き, その後の特別株主総会で KLKA の本拠地をマレーシアへ移転する特別決議が承認された.
1973 年, KLKA は清算され, その資産および負債を継承する形でマレーシア国内で Kuala Lumpur Kepong Berhad [KLK] が7月6日に設立された.李来成[Lee Loy Seng]は創業会長[Founder Chairman]に任命された.これにより, KLK はマレーシア企業として再編され, 株式はクアラルンプール, シンガポール, ロンドンの各証券取引所に上場された.株式交換は, KLKA 株1株[10ペンス]に対して KLK 株4株[各1リンギット]のレートで実施された.その後, 1979 年には本社をペラ州の Ladang Pinji[イポー地域]に移転している.シンガポール証券取引所での上場は1990年1月1日に国家政策に従って廃止され, ロンドン証券取引所での上場は取引量が極めて少なかったため2005年5月1日に廃止された.
KLK の創設以来の主要な事業はプランテーションである.現在, KLK はマレーシア本土およびサバ州, さらにインドネシア[Belitung, スマトラ, 中部・東部カリマンタンなど], およびリベリアにまたがり, 約30万ヘクタールの農地を保有する大規模な土地銀行[land bank]を持つに至った.油ヤシとゴムを中心としたプランテーション運営により, 原油椰子油[crude palm oil: CPO], パーム核[kernel]由来製品, 天然ゴムなどを生産し, グローバルな需要に応えてきた.
1990年代に入り, KLK はプランテーション依存のリスクを軽減し, 収益の安定と付加価値強化のために事業多角化を進めた.1991 年, 資源ベースの製造部門として, オレオケミカル製造会社 Palm-Oleo Sdn. Bhd. を設立.これが後にグループの製造部門である KLK OLEO の起点となった.KLK OLEO はその後マレーシア国内のみならず, インドネシア, 中国およびヨーロッパ[ドイツ・Emmerich, スイス, オランダ, ベルギー]に製造拠点を拡大し, 脂肪酸, 脂肪アルコール, グリセリン, メチルエステル, 界面活性剤などのオレオケミカルおよび派生化学品を世界中に供給するグローバル企業へと発展した.これらの製品は, 化粧品, パーソナルケア, 家庭用製品, 医薬中間体, 潤滑剤, 工業用途など, 多岐にわたる用途に用いられている.
また, KLK は製造部門に加え, 不動産開発事業にも進出している.1990年代初頭から自社が保有する広大な土地資産[land bank]を活用して住宅地および商業地の開発に着手し, タウンシップ[住宅地]や商業施設の造成を行ってきた.最初の不動産開発プロジェクトは, 1990年に Tan & Tan Developments Bhd との共同事業として開始された Sierramas[ゲート付き住宅開発]であった.その後, Sungai Buloh[Selangor州]における住宅・商業複合開発プロジェクト[Desa Coalfields, Bandar Seri Coalfields など], Ijok の Caledonia などを手掛けた.近年では工業団地企画にも着手しており, 2025年9月12日には同社子会社 KLK Land による統合型工業ハブ[industrial hub], KLK TechPark in Tanjong Malim, Perak[1,500エーカー, 総開発価値35億リンギット]を発表した.フェーズ1では中国の電気自動車メーカー BYD がアンカー投資家として150エーカーの施設を建設し, 2026年末までにインフラ整備が完了する予定である.フェーズ2は2025年末までに着工予定で, 200エーカーの自動車・製造業向けベンダーパークが建設される.これにより, 自動車産業や先端技術産業向けの工業土地およびインフラを提供する施設を整備し, 地域の産業基盤の形成と雇用創出[推定1万~2万人の雇用創出]に寄与することを目指している.プロジェクトは2025年から2035年にかけて段階的に開発される予定であり, ペラ州政府の Automotive High-Tech Valley [AHTV] 構想と連携して, Tanjong Malim を世界的な自動車・先端技術ハブへと変貌させることを目指している.
さらに2025年には, Johor を拠点とする AME Elite Consortium との共同事業として, Ijok, Kuala Selangor における工業団地開発も発表されている.
かつては小売り・日用品・パーソナルケア製品, 食品, 家庭用製品などの分野にも進出し, ブランド製品の製造および流通を手掛けていた[Crabtree & Evelyn など].しかし今日においては主力をプランテーション, オレオケミカル製造, 不動産開発, 投資持株などに絞り込み, グローバルに展開する多角経営企業となっている.
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