
アクゾノーベル(Akzo Nobel N.V.,オランダ)は、オランダのアムステルダムに本拠を置く世界最大級の塗料・コーティングメーカーである。世界各地に生産・研究開発拠点を持ち、150か国以上の市場で事業を展開しており、従業員数は約35,000人規模に上る。同社は、建築用塗料、工業用コーティング、船舶用塗料、航空宇宙用コーティング、粉体塗料などの分野で世界的な地位を占めているが、その歴史は単純な塗料メーカーとして始まったものではない。17世紀以来のオランダ化学工業の伝統、19世紀から20世紀にかけて発展したヨーロッパの合成繊維産業、医薬品産業、さらにはアルフレッド・ノーベルに由来するスウェーデン化学工業の系譜が複雑に融合した結果として誕生した企業として知られる。
アクゾノーベルの一方の源流となるアクゾ(Akzo N.V.)は、20世紀前半の欧州における人工繊維産業の発展を背景として形成された企業である。
その起源の一つは、1911年に設立されたオランダの人工絹糸メーカーである Nederlandsche Kunstzijdefabriek(ENKA)に求められる。当時、天然絹の代替品としてレーヨンの需要が急増しており、欧州各国では人工繊維産業が急速に拡大していた。1929年にはENKAとドイツのレーヨンメーカー Vereinigte Glanzstoff-Fabriken が統合され、Algemene Kunstzijde Unie(AKU) が成立した。AKUは欧州有数の化学繊維企業として成長し、第二次世界大戦後にはナイロンやポリエステルなど新しい合成繊維の開発にも取り組んだ。
一方で、オランダでは塩化学や医薬品分野でも大規模な企業統合が進められていた。1967年には Koninklijke Nederlandse Zoutindustrie(KNZ)と、ホルモン製剤で知られる製薬企業 Organon を中心とする企業群が統合され、Koninklijke Zout Organon(KZO) が成立した。KZOは基礎化学品、特殊化学品、医薬品を扱う総合化学企業であり、当時のオランダ産業界において重要な地位を占めていた。
1969年、AKUとKZOは合併し、新たに Akzo N.V. が発足した。この統合はオランダ化学産業史上最大級の企業再編の一つであり、合成繊維、医薬品、基礎化学品、特殊化学品を併せ持つ巨大企業が誕生した。
しかし1970年代に入ると、石油危機や国際競争の激化によって合成繊維事業の収益性は悪化した。そのためアクゾは、より高付加価値で技術集約型の事業へと重点を移し始めた。この戦略転換が後の塗料事業への集中につながることになる。
アクゾノーベルのもう一つの源流はスウェーデンの ノーベル・インダストリーズ(Nobel Industries AB)である。この企業の歴史は19世紀にまで遡る。
その中心に位置する人物が、ダイナマイトの発明者として知られる アルフレッド・ノーベル(1833–1896)である。ノーベルは1867年にダイナマイトを発明し、爆薬技術を産業化して欧州各地に製造拠点を築き上げた。彼の事業は後に多くの企業へ分化しながらも、化学工業の発展とともに成長を続けた。
20世紀後半になると、スウェーデン化学産業では再編が進展した。1984年には、19世紀後半にアルフレッド・ノーベルが創設した爆薬・化学企業群を源流とする複数の企業を統合して誕生したケマ・ノーベル(KemaNobel AB)と スウェーデン中部のヴェルムランド地方に設立された製鉄所を起源とし重砲メーカーとして急速に成長したボフォース(Bofors AB)が統合され、ノーベル・インダストリーズ(Nobel Industries AB)が設立された。ただしこの統合の経緯については若干の補足が必要である。ボフォース(Bofors AB)は兵器・防衛産業で名高い企業であり、1980年代には贈収賄スキャンダル(ボフォース事件)に関与したことで国際的に知られた。ノーベル・インダストリーズ(Nobel Industries AB)はこうした背景を持ちながらも、爆薬事業の系譜を受け継ぎつつ特殊化学品、塗料、紙パルプ薬品などへ事業を拡大し、北欧を代表する化学企業へと成長した。塗料分野では Sikkens(シッケンズ)ブランドを保有しており、これが後のアクゾノーベルにおける工業用・自動車補修用塗料事業の礎となった。
1994年、Akzo N.V. と Nobel Industries AB は合併し、現在の Akzo Nobel N.V. が誕生した。
この統合は単なる企業規模の拡大ではなく、西欧化学産業の再編を象徴する出来事であった。オランダの化学・医薬品・繊維技術と、スウェーデンの特殊化学品および塗料技術が結びついたことで、欧州有数の総合化学企業が誕生した。Sikkensをはじめとするノーベル側の塗料ブランドは、この時点でアクゾノーベルの塗料事業の核となった。
合併直後のアクゾノーベルは、化学品、医薬品、塗料、繊維という極めて広範な事業を展開していた。その事業構造は、現在の塗料専業企業としての姿とは大きく異なっていた。
1990年代後半から2000年代にかけて、アクゾノーベルは事業ポートフォリオの見直しを進めた。
1998年には英国の化学企業コートールズ(Courtaulds plc)を買収した。この買収によって、後に同社の重要事業となる インターナショナル・ペイント(International Paint)がグループに加わった。International Paint は船舶用塗料および海洋構造物向けコーティング分野において世界有数のブランドであり、今日に至るまでアクゾノーベルの競争力の源泉の一つとなっている。
一方、繊維事業については将来性が限定的であるとの判断から縮小・売却が進められた。かつてアクゾの中核であった合成繊維事業は段階的に切り離され、企業の重心は化学品と塗料へと移行していった。
アクゾノーベルは長年にわたり Organon や Intervet といった有力な医薬品・動物薬事業を保有していた。
Organon は女性医療やホルモン製剤で高い評価を受ける製薬企業であり、Intervet は動物用医薬品分野の有力企業であった。しかし経営陣は、医薬品事業と塗料事業との間に十分な相乗効果を見出すことが困難であると判断した。
その結果、2007年に Organon BioSciences(OrganonとIntervetを統合した持株会社)が米国のシェリング・プラウ(Schering-Plough Corporation、2009年に同じく製薬大手の Merck & Co., Inc.(メルク)に買収)に約140億ドルで売却された。この売却によってアクゾノーベルは多額の資金を獲得するとともに、企業戦略を塗料・コーティング分野へ集中させる方向を明確にした。この決定は、後のICI買収の資金的基盤ともなった重要な転換点であった。
2008年、アクゾノーベルは英国化学産業の象徴ともいえるICI(Imperial Chemical Industries plc)を買収。
ICIは1926年に設立された歴史ある企業であり、20世紀の英国化学工業を代表する存在であった。この買収はアクゾノーベル史上最大規模の企業買収であり、同社を世界最大級の塗料メーカーへ押し上げる契機となった。
とりわけ重要だったのは、建築用塗料ブランドである Dulux(デュラックス)の取得である。Duluxは英国、オーストラリア、アジア諸国を中心に極めて高い知名度を有しており、アクゾノーベルは住宅用塗料市場において圧倒的な競争力を獲得した。ICI買収以降、同社は塗料・コーティング事業を中核とする企業として再定義されるようになった。
なお、ICI の前身にはノーベル爆薬会社(Nobel Explosives Company)も含まれており、奇しくも「ノーベル」の名を持つ系譜がここでもアクゾノーベルの歴史と交差している。
2010年代後半になると、アクゾノーベルは残存していた特殊化学品事業についても整理を進めた。
2018年には特殊化学品部門を分離・売却し、Nouryon(ノウリオン)として独立した企業となった。この事業売却により、アクゾノーベルは事実上、塗料・コーティング事業に特化した企業へと変貌した。
かつてのアクゾノーベルは、医薬品、化学品、繊維を含む巨大な総合化学企業であった。しかし21世紀に入ってからの継続的な事業再編を通じて、現在では塗料とコーティング技術を中核とする専門企業へと姿を変えた。
第1版:2026-06-04.
| ( ! ) Warning: Undefined variable $link_abc in /var/www/html/history/econ_his.php on line 152 | ||||
|---|---|---|---|---|
| Call Stack | ||||
| # | Time | Memory | Function | Location |
| 1 | 0.0000 | 357952 | {main}( ) | .../econ_his.php:0 |