平安時代

平安前期

桓武天皇(781-806)

平城天皇(806-809)

嵯峨天皇(809-823)

淳名天皇(823-833)

大伴という名であったために、即位に伴って、名族・大伴氏は伴に改姓した。

平安中期

平安後期

参考文献

渡来人を母に、末端の皇族を父に持ちながら図らずも皇位に就き、仲麻呂や道鏡、藤原四家や大伴家持等旧貴族との政争を戦い抜いて平安京に遷都し、京都千年の文化の礎を築いた波瀾多き驚異の生涯。
2007年11月18日に東商ホールにおいて開催された第62回歴博フォーラム「激動の長岡京時代」における報告および討論を中心にまとめたもの。前半では、「桓武朝を考える」と題して、古代史全体の中で桓武朝がいかなる意味を有しているかを広い視野から議論。後半では、各論として「転換点としての長岡京遷都」と題して文献史学や考古学なでさまざまな切り口からの報告を収録し、討論では長岡京研究の今日的な意味を議論。
桓武天皇(737~806、在位781~806)。
「軍事と造作」の日々の中の人生。奈良から平安への時代の変わり目にあって国事に奔走し、平安時代四百年の王朝はもとより、京都の礎を築いた功績者の、新しい地平を目指しての苦難に満ちた生涯を辿る。
○当年の費(つい)えといえども後世の頼(たよ)り
桓武天皇の崩御に際して「日本後紀」が記した言葉である。宮都造営と蝦夷征討というその事業は、一時の判断からすれば無駄で消耗だったとしても、長期的視点からすれば、まさに歴史を造った偉大な功績であった(本書213頁参照)。

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