平安時代
平安中期
仁明天皇(833-850)
- 835年:空海死去。
- 839年:最後の遣唐使が帰国する。
- 841年:『日本後紀』が編纂される。
- 842年
- 嵯峨上皇が崩御する。
- 承和の変が起る。
- 藤原冬嗣の子・良房が橘逸勢と伴健峯(こわみね)を排除。
- 橘逸勢が死去する。
- 847年:円仁が帰国する。
- 848年:藤原良房が右大臣となる。
文徳天皇(850-858)
- 852年:小野篁が死去する。
- 855年
- 856年:檀林寺が創建される。
- 857年:藤原良房が太政大臣となる。
清和天皇(858-876)
- 858年:藤原良房が摂政となる。
- 859年:石清水八幡宮が創建される。
- 865年:高岳親王がマレー半島にて逝去。
- 869年:『続日本後紀』が編纂される。
- 872年:藤原良房が亡くなる。基経が摂政となる。
- 876年:嵯峨院が大覚寺となる。
陽成天皇(876-884)
- 878年:藤原保憲と小野春風に出羽の蝦夷叛乱を鎮圧させる。
- 880年
- 884年:乳母・紀全子の子・源益(すすむ)を内裏にて殴殺。
光孝天皇(884-887)
- 884年:藤原基経が関白となる。
- 887年:源定省が皇籍に復帰し立太子。
宇多天皇(887-897)
- 888年
- 889年:高望王が賜姓平氏。
- 891年:藤原基経が死去する。
- 894年:菅原道真の建議を聞き入れ遣唐使の派遣を中止する。
- 895年:源融が亡くなる。
- 896年:勧修寺が創建される。
参考文献
| 始祖・鎌足から不比等、良房らをへて道長に至り、ついに満天に輝く望月となった藤原一族。権謀、栄華、零落、風雅、伝統…。今に伝わるその足跡をたどる。 | | 六国史は漢文編年体で書かれた勅撰の正史である。『日本書紀』『続日本紀』に続く『日本後紀』では、延暦十一年から天長十年の四十年余が扱われ、平安時代初期、歴史の変革期の面白さが描かれる。残存する十巻分に逸文を加え、復元された原文に、分かりやすい現代語訳を施し、懇切な注を付す。本書は日本歴史の貴重な文献が身近に読める待望の書である。 漢文編年体で書かれた敕撰の正史の現代語訳 『日本書紀』『続日本紀』に続く六国史の三番目。延暦11年から天長10年の41年間、平安時代初期の律令体制再編成の過程が描かれていく貴重な歴史書。原文付 |
|