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松平(竹谷)家

藩主官位・通称出自
初代松平守家 Moriie-宗家・岩津松平信光の長男。三河国宝飯郡竹谷を本拠とする。
2代松平守親-松平守家の子
3代松平親善-松平守親の子
4代松平清善 Kiyoyoshi-松平親善の長男。母は今川義元の妹。鵜殿長照の居城・上ノ郷城を落城させ(1562[永禄5])、遠州・宇津山城番に任ぜられた(1572[元亀3])。
5代松平清宗 Kiyomune玄蕃允松平清善の子。興国寺城に2000貫を得る。
徳川家康の関東移封後は武州児玉郡八幡山1万石を領し雉岡城を居城としたという。

三河吉田藩 3万石

藩主官位・通称出自
初代松平(竹谷)家清 Iekiyo従五位下 玄蕃頭松平(竹谷)清宗の子。
関ヶ原の戦いのときは尾張国清洲城を守備し、その功によって吉田藩1万石を得る。
2代松平(竹谷)忠清 Tadakiyo従五位下 玄蕃頭松平(竹谷)家清の長男。
徳川家康の幡豆郡吉良への鷹狩り接待の2ヵ月余後に無理が祟って急死。嗣子がいなかったために改易。
しかし、幕府は忠清の異母弟・松平清昌に三河国宝飯郡西ノ郡に5000石を与え交代寄合として家名を存続させた。


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Last-modified: 2008-11-17 (月) 18:33:59 (5805d)