武蔵七党
金子氏
武蔵七党村山党
出自
- 上総介平 良文の子、武蔵押領使村岡忠頼の子孫。
- 村山頼任:武蔵国村山郷に土着。
- 金子家忠:源義朝、義平、頼朝、頼家、実朝の歴代源氏に仕える。
鎌倉時代
- 和田合戦により衰退:1213(建暦3)年に和田義盛に加勢し北条氏により家高討伐。
室町時代以降
- 金子越中六郎左衛門入道(忠親):鎌倉公方足利基氏の督促により将軍義詮軍に参加。
- 山内上杉家に属する。
- 金子家長:川越夜戦後、北条氏康に属する。
- 金子紀伊守家基:小田原討伐時、武蔵松山城留守居役。越後上杉軍に寝返り。
- 金子政熙:上杉景勝に属するも会津転封時に浪人。
- 金子政景:政熙の子。京都守護代板倉勝重に仕官。妻は長門藩主毛利秀就家臣宍戸元真の女。
- 金子就親:長門藩毛利家に仕官。
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