中新田城

宮城県加美郡加美町字北町にある城.大崎氏の祖である奥州管領・斯波家兼[1308-1356]が文和3[1354]に築城したという.大崎義直[-1577]と大崎義隆[1548-1603]が居城とし,義隆の代に名生城に移る.以降は大崎氏家臣・南条下総守隆信が城代を務めた.

この中新田城を舞台として,天正16[1588]年に伊達政宗と大崎義隆による中新田合戦が戦われている.天正16[1588]年,伊達政宗は大崎氏配下の氏家吉継・富沢貞運からの要請に基づき,浜田景隆・留守政景に命じて大崎領に侵攻,中新田城を攻撃.しかし,中新田城代・南条隆信の奮戦と,伊達政宗方であった大崎氏一族の黒川晴氏が南条隆信に呼応し叛旗を翻す.これによって伊達軍は新沼城に封じ込められ大崎義隆に助命嘆願.大崎義隆は泉田重光[1529-1596]・長江勝景[-1591]を人質とすることで伊達軍の撤退を認めた.

両人は蟻ヶ袋城に抑留されたが,長江勝景は寝返ったため自領に戻っている.

大崎義隆と伊達政宗は和議を結び泉田重光は解放された.

上杉景勝の勧めにも関わらず上洛を拒否した大崎義隆は豊臣秀吉による奥州仕置によって取り潰しとなる.小田原の北条氏を降伏させ,北上し会津黒川城に入った豊臣秀吉は蒲生氏郷・伊達政宗に命じて中新田城を接収した.


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