タッラコの考古遺跡群

タラッコ[Tarraco]は現在のスペインのカタルーニャ州にあるタラゴナ[Tarragona]のローマ帝国[Imperium Romanum,25B.C.-480]時代の名称.その歴史はギリシア植民都市であるとされるが,ローマ軍がカルタゴ[Carthāgō,Carthage,814B.C.-146B.C.]の大軍を迎え撃つために紀元前218年に基地として用いてもいる.第2次ポエニ戦争[Secundum Bellum Punicum,Second Punic War,219B.C.-201B.C.]において共和政ローマのグナエウス・スキピオ[Gnaeus Cornelius Scipio Calvus,-211B.C.]はタラッコ近郊におけるキッサの戦い[Battle of Cissa,218B.C.]において,カルタゴハンニバル配下のハンノ将軍[Hanno]を破っている.この戦いの結果,共和政ローマはハンニバルが制圧したばかりのエブロ川北部を奪還.イタリア半島へと攻め入ったハンニバルへの援軍の進路を断ち切った.

その後,ユリウス・カエサル[Gaius Iulius Caesar,100B.C.-44B.C./3/15]が都市としての整備を行い,初代皇帝でユリウス=クラウディウス朝[Julio-Claudian dynasty]のアウグストゥス帝[63B.C./9/23-14/8/19]やフラウィウス朝[Flavian dynasty]初代のウェスパシアヌス帝[Titus Flavius Vespasianus,9/11/17-79/6/23]の庇護を得て皇帝直属都市として重要視され繁栄を極めた.

ローマ時代には,イベリア半島はセビリア[Sevilla]を中心都市とするローマ属州バエティカ[Baetica],メリダ[Mérida]を中心都市とするローマ属州ルシタニア[Lusitania]とローマ属州タラコネンシス[Tarraconensis]の3つに分割されていた.タラコはローマ属州ヒスパニア・タラコネンシスの中心都市であった.なお,タラコネンシスルシタニア皇帝属州[Imperial province].


世界遺産





















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