氣比神宮


大宝2(702)年に勅命により、仲哀天皇・神功皇后を合祀したことに始まる。旧官幣大社、北陸道総鎮守・越前国一之宮。伊奢沙別命、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、應神天皇、玉妃命、武内宿禰命の七柱を祀る。主祭神は伊奢沙別命、別名氣比大神。氣比は笥飯(けひ)を意味する。「古事記」の仲哀記、「日本書紀」垂仁天皇の条に氣比の記述があるが由来に関して一致しない。そのため、主祭神について仲哀天皇説、都怒我阿羅斯説、天日槍説等が唱えられてきた。地元では「けいさん」と呼ばれるという。
敦賀駅のすぐ傍にある。延元元(1336)年に恒良、尊良両親王を擁する新田義貞が足利軍と戦い散った金ケ崎城跡(金崎宮)に足を伸ばした帰りに立ち寄る。氣比神宮と金ヵ崎城は目と鼻の先。かつて、新田軍は恒良を新天皇として奉じて金ヵ崎城で越前守護斯波高経と対峙した。足利高氏は高師泰、今川頼貞、小笠原貞宗、塩冶高貞、仁木頼章を派遣。新田義貞は脇屋義助、洞院実世とともに態勢立て直しを図るべく金ヵ崎を脱出。しかし、残された義貞嫡男の新田義顕と尊良親王は自害。恒良親王は気比大宮司斉晴の尽力で落ち延びるも捉えられている。
ちなみに、周囲は工事現場のような風景だったが、ここは敦賀旧港の東端に当たるとのこと。戦前には欧亜列車の駅があったのだという。

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