秩父14番長岳山今宮坊


中世、武蔵国は甲斐武田と後北条との戦場となった。秩父の地も例外ではない。
 武田軍は後北条の支配する秩父を席巻し
焼け野原とした。これを「信玄焼」という。
 そのとき、現在の今宮坊は長岳山金剛寺と呼ばれていたが戦火を免れなかったこと他に同じであった。
 秩父の地に平和が訪れたときに、現在の
観音堂が建てられたという。
 今宮坊に向かう途中には今宮神社があり、徳川家康が見とれたという伝説が残っている。

埼玉県秩父市中町25‐12

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