長尾砦址


横浜は鎌倉に隣接する長尾台にある戦国時代の後北条氏の玉縄城の出城址。
周囲はすっかり住宅地となっているのに、この長尾台には畑が広がり、
林もあるなど喧騒からは程遠い。
長尾台はかつては鎌倉党長尾氏の本拠地だった。
そう、あの上杉謙信こと長尾影虎の祖先の地。
源義家に従って後三年の役を戦った鎌倉権五郎景政の子孫が長尾の地に住み長尾次郎と名乗ったのが長尾氏の始まり。
長尾氏は祖先を御霊神社(鎌倉周辺に多い鎌倉党の祖霊社)に祀り、その神社は現在でもある。
子孫の長尾定景は、1180(治承4)年の源頼朝の挙兵の折に頼朝旗下の佐奈田与一義忠を討ち取った平家方の武将。後に三浦氏の配下となり、1219(建保7)年には公暁を討ち取ってもいる。しかし、1247(宝治元)年の宝治の乱で三浦一族とともに鎌倉法華堂で自刃。
一旦は、長尾一族は滅亡を余儀なくされる。
ところが、室町時代に入ると長尾景仲、長尾顕方が長尾台を本拠地として活躍したことが知られている。
それにしても、長尾台からの眺めは素晴らしい。


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