清水八幡(埼玉県狭山、鎌倉街道上道)

木曾義仲の息子の清水冠者義高(源 義高)を祀る。
義高は、源 頼朝のもとへ人質に出され、頼朝の娘の大姫と結婚。2人は幼いながらも幸せな生活を送った。
この時に義高の世話を源 義経がしたことが知られている。
幸せな生活は、父親の木曾義仲が源 頼朝の命令によって義経によって討たれた時に終わってしまう。
義高の姿にかつての自分の境遇を重ねた頼朝の心中を察した義高は鎌倉を杉本寺方面から逃亡。祖父義賢の本拠地だった大蔵館や祖父が討たれた時に幼かった父義仲を助けた畠山重能の本拠地である菅谷館のある現在の嵐山を目指した。
ところが、入間河原で追っ手に追いつかれ、藤内光澄によって打ち首にされてしまう。
一報を聞いた大姫は嘆き悲しみ、娘の嘆きを目の当たりにした北条政子は藤内光澄を討ち、義高を偲んで入間河原に清水八幡を建立したとされる。
大姫の嘆きは一通りではなく、病に臥し続け、義高のもとへ行くことだけを願い続け、夭折したことには涙をせざるを得ない。




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